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 神社山門: 朝日森天満宮

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朝日森天満宮

朝日森天満宮(栃木県佐野市天神町)
【 概 要 】朝日森天満宮は治安3年に足利家綱が唐沢山城に創建した古社です。その後は足利氏の後裔で長く当地を支配した佐野氏が崇敬社として庇護した為に社運が隆盛しました。江戸時代に入り佐野氏が居城を佐野城に移した際に現在地に遷座しました。しかし、慶長19年に佐野氏は改易となり、以後は幕府より社領10石が安堵され、佐野領主となった彦根藩主井伊家が庇護します。又、境内は日光例幣使の小休所として利用された為、例幣使として派遣された公卿が奉納した色紙短冊が数多く奉納しています。

【 場 所 】栃木県佐野市天神町

【 構 造 】−唐門、瓦葺き、一間一戸、四脚門

【 備 考 】−足利家綱は平将門を討った事でも知られる藤原秀郷の後裔とされ足利郡司を担っていたとされます。歴史的な資料があるかは判りませんが、由緒上家綱は同僚の妬みにより身に覚えのない罪を着せられ、九州に配流、その際、太宰府天満宮(福岡県太宰府市)に参籠し毎日必至に旧領復帰を祈願すると不思議と願いが天に通じ罪が許されたそうです。家綱は天満宮の御利益として信仰するようになり領内にも天満宮(現在の朝日森天満宮の前身)を創建したそうです。又、佐野市に伝わる民話によると、家綱が九州に配流になっていた際、朝鮮出身の力士と日本と朝鮮がどちらが貢物を送るかを掛けて相撲で勝負する事になり太宰府天満宮に祈願により勝利を収め、旧領復帰が許されたと伝えられています。その後、新田義重の子供である新田義国も足利の地を与えられた為、梁田御厨の給主職を巡り対立関係となり、応保元年(1162)に義国側が勝利しました。こちらも伝承ですが家綱は失意の内に死去すると明菊山(現在の栃木県佐野市山越町)の山中に鎮座する加茂別雷神社の境内にある岩窟に葬られ、特に力士から岩倉大権現として信仰の対象となり巡業で近くを通った際には明菊山に遥拝したそうです。家綱の後裔はその後も衰退を余儀なくされ、鎌倉時代初期に源頼朝により滅ぼされ、一門だった大胡氏・佐野氏・阿曾沼氏などの諸氏は頼朝に従う事で命脈を保ち、中には戦国時代まで国人領主として当地の支配層となった家もあります。朝日森天満宮はその中の佐野氏が奉斎を続けた事で長く信仰の中心となり佐野氏が没落後も維持されました。

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