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神社山門: 尾鑿山賀蘇山神社 |
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賀蘇山神社 |
【 概 要 】−賀蘇山神社は日本三代実録と呼ばれる古文書に記載されている古社で従五位下に列するなど格式も高い神社でした。その後、神仏習合し、背後の尾鑿山(石裂山)が修験の場として多くの修験僧を受け入れ拠点として栄えました。特に尾鑿山(石裂山)は女人禁制の霊山だった事から当社は女人堂的な役割を持ちました。歴代領主からも崇敬庇護され小野道綱も参拝に訪れています。現在も遥拝殿が残されており鹿沼市指定文化財に指定されています。
【 場 所 】−栃木県鹿沼市入粟野 【 構 造 】−切妻、銅板葺き、一間一戸、薬医門 【 備 考 】−現在は天御中主神が祭られていますが、往時は賀蘇山神と呼ばれる地元神が祭られていました。御神体となる尾鑿山は何時頃から信仰の対象になったのは判らないものの、社伝を信じれば男体山を登頂に日光山内を整備した勝道上人が開いたとされる為、奈良時代まで遡る事になります。山中には奇岩怪石が多く、特に奥之院が境内を構える場所は高く岩壁が聳え、その中腹にはポッカリ口を開いた岩窟があり鳥居や石祠などが建立されています。寛永11年(1634)、宝暦2年(1752)、文政7年(1824)の火災などの災害により近世以前の由緒を失っていますが、修験道が盛んな仏教色の強い神社だったようです。唯一名前が挙がるのは朝臣小野道綱ですが、どの様な人物かは判りませんでした。同じく尾鑿山(石裂山)を御神体とする加蘇山神社が下野国皆川城主の皆川氏に庇護されていたようなので当社も同氏と関係があったのかも知れません。
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