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 神社山門: 佐野東照宮

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佐野東照宮

佐野東照宮(栃木県佐野市金井上町)
【 概 要 】−東照宮の境内は元和3年(1617)に徳川家康の御霊(又は遺骸)が久能山(静岡県静岡市、現在の久能山東照宮)から日光に勧請された際、霊柩が宿泊した場所(惣宗寺の境内)で、文政11年(1828)に創建しました。社殿は日光東照宮を模したもので本殿、拝殿、透塀、唐門が栃木県指定文化財に指定されています。

【 場 所 】栃木県佐野市金井上町

【 構 造 】−唐門、銅瓦棒葺き、一間一戸、四脚門

【 備 考 】−徳川家康は、久能山には遺骸が埋葬し、日光には小堂を建立し御霊を勧請する事が遺言として残しました。遺言通りとすれば日光には家康の遺骸はないはずですが、久能山の家康の遺骸から御霊を棺に遷す儀式を天海大僧正が一人で行った為、棺の中を確認した第三者はいないそうです。さらに天海は「あれハある奈け連ハ奈ひ尓駿河なるく能奈き神の宮遷し哉」という、遺骸があるともないともとれるような謎の歌を残しています。惣宗寺に着いたのは元和3年(1617)3月28日、惣宗寺が霊柩の宿泊所に選定されたのは、当時の住職である13世三海が天海の高弟だった事が大きな要因と推察され、天海は三海に対して権力を駆使し強引に僧正成に推薦し、三海が病気により惣宗寺の住職を隠居すると、惣宗寺の門徒や檀那に対して後任の住職が決まるまで管理するように命じています。惣宗寺に霊柩が到着すると境内周辺を千人の武士により警護され、内部には僧侶が集められ盛大な法要が執り行われたとされ、その参加を拒否した佐野家縁の4ヵ寺は廃寺に追い込まれています。当地は藤原秀郷の後裔の一族とされる佐野氏が国人領主として長く当地を支配し、江戸時代初期には3万9千石の大名として認められ佐野藩の藩主となっていましたが、慶長19年(1614)に理不尽な理由で改易となり、代わって元和2年(1616)に小山藩の藩主本多正純が佐野領の加増を受けました。正純は惣宗寺の境内に霊柩の為に御殿を造営し、その御殿に東照大権現(家康の御霊)の分霊が勧請され佐野東照宮が創建されています。

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