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神社山門: 高椅神社 |
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高椅神社 |
【 概 要 】−高椅神社は景行天皇41年に日本武尊が創建した古社で、天武天皇12年に高橋朝臣が社殿を再建したとされます。延喜式神名帳には式内社として記載されていた事から古くから格式の高い神社として知られていました。中世に入ると、領主である結城氏が代々庇護し、慶長5年に福井藩に移封し松平姓になった後も例祭の際には代参を派遣し関係を維持しました。神門(神社山門)は江戸時代中期に建てられた楼門形式の建物で栃木県指定文化財に指定されています。高椅神社例祭に奉納される「高椅神社神楽」は小山市指定無形民俗文化財に指定されています。
【 場 所 】−栃木県小山市高椅 【 構 造 】−入母屋、銅瓦棒葺き、三間一戸、八脚楼門 【 備 考 】−磐鹿六雁命は第8代孝元天皇の皇子である大彦命の孫とされる人物で、比古伊那許志別命(大稲腰命)の子供ともいわれています。奈良時代に成立した日本書紀によると景行天皇53年に天皇の東国巡幸に随行し、天皇が得た白蛤を膾にして献上した事から膳大伴部を賜ったと記されています(古事記では磐鹿六雁命の名前は記載されていないものの、景行天皇の御代に膳之大伴部を定めた事が記されています)。延暦8年(789)に編纂された高椅家の家記である「高橋氏文」の逸文でも似たような記述があり、奈良時代に成立した「常陸国風土記」にも磐鹿六雁命の代わりに伊賀理命が同様な役目を負った事象が見られます。新撰姓氏録の逸文によると磐鹿六雁命が膳臣(膳之大伴部)を賜った後、天武天皇(第40代天皇・在位:673〜686年)の御代に10世後裔の膳国益が「高椅」姓に改めたと記載されています。高椅神社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社である事を鑑みると、7世紀から9世紀に高椅氏一族が当地に移り住み祖神である磐鹿六雁命を祭ったのが当社の原形であると推察されます。日本武尊が実存し、東国平定が実際に行われたとすると、東国への行軍の経路は常陸国の海岸沿いが想定される為、高椅神社の境内とは遠く離れ当社に伝わる伝承とは合致しないと思われます。
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