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 神社山門: 滝尾神社

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滝尾神社

滝尾神社(栃木県日光市山内)

滝尾神社(栃木県日光市山内)

【 概 要 】−滝尾神社は弘仁11年に空海上人が霊山として知られる女峰山の山頂に田心姫命(滝尾権現)を祭り創建した神社です。女峰山は日光三山として人々から信仰され、それぞれが愚見化した神社は日光三社として崇敬庇護されました。特に徳川家康が日光東照宮に祀られるようになると、周辺一帯は幕府から庇護の対象となり社運も隆盛しました。往時は神仏習合していましたが、明治時代の神仏分離令により仏教色が一掃され、仁王門は仁王像が外され改めて随神を祀る随神門(神社山門:楼門)に転じました。

【 場 所 】−栃木県日光市山内

【 構 造 】−入母屋、銅瓦棒葺き、三間一戸、八脚楼門・平唐門、銅瓦棒葺き、一間一戸

【 備 考 】−弘法大師空海が筆した「遍照発揮性霊集」に勝道上人が二荒山(男体山)に登頂した事などが記されている事から、空海は当地事を知っていた事は明白ですが、空海が日光の開発に携わった客観的な資料はありません。現在日光関係の多くの由緒は鎌倉時代以降に日光修験による創作と思われるものが殆どとされ、滝尾神社の由来記である「日光山滝尾建立草創日記」も同様と思われます。このような事は滝尾神社に限った事ではありませんが、日光修験が発達する過程で権威付けとして世に知られる高僧が創建に関わった事にする必要性があったのかも知れません。個人的には、当時の宗教観の1つとして三山信仰なるものがあり、キリスト教でいう三位一体と似たような3つの意味が重なり1つ大きな理を説くようなものが根底にあったと思われます。

全国を見ると大和三山や熊野三山、出羽三山など○○三山は数多く存在し、日光でも数ある山々の中から三山が求められ主峰の男体山とそれに対する女峰山と太郎山が選定されたと思われます。何故、女峰山に田心姫命が祭られたのかは良く判りませんが、日光三山の祭神を鑑みると三山で親子(父母子)の関係を表現している事は推察されます。男体山に祭られている大己貴命は大国主命の別称の1つで、数多くの婚儀を重ねた神でもあり、確かに田心姫命もその内の1柱ではありますが、そもそも田心姫命は宗像三女神の1柱として一般的には海神として理解されています。

しかし、田心姫は古事記では多紀理毘売命と表記され、タキリビメ、タギリヒメと読める事から、水が激しく流れる「滾り」に通じ、滝尾神社の境内には「白糸の滝」があり清流が流れている事からこの点では相応しい神とも言えます。以上の事から察すると、女峰山の遥拝所として滝尾神社が設けられたのでは無く、当社の境内にある「白糸の滝」が修験者にとって修行場などで神聖な場だった事から、漠然とした水神が想定され、日光三山を選定するに当たり、大己貴命の妃神の中で最もと水に関わりが深い田心姫命が当てられ女峰山に祭られるようになったのかも知れません。

栃木県の神社山門
那須神社太平山神社木幡神社鷲子山上神社長沼八幡宮賀蘇山神社尾出山神社高椅神社
須賀神社二荒山神社朝日森天満宮唐沢山神社今宮神社佐野東照宮日光東照宮(陽明門)
二荒山神社滝尾神社二荒山神社中宮祠
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