出羽三山の1つ月山は蜂子皇子が崇峻天皇5年(592)に羽黒山を開山した翌年又は3年間の修行の後に開いたのが始まりとされます。祭神である月山神は宝亀4年(773)に神戸2戸が寄進されている事が初見で、格式が高く貞観6年(864)に従三位、貞観18年(876)正三位、元慶4年(880)従二位に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社として記載されました。古くから神仏習合し月山神の本地仏は阿弥陀如来(八幡大菩薩)として信仰され、修験道場として発展しました。戦国時代には庄内地方の国人領主である武藤氏の影響下に置かれた為、最上家の庄内侵攻の兵火を受けて荒廃しました。慶長5年(1600)に関が原の戦いの大功で庄内地方の領主となった最上義光は月山神社を庇護し慶長6年(1601)に社殿の修築を行っています。明治時代初頭に発令された神仏分離令と廃仏毀釈運動、明治5年(1872)の修験廃止令により仏教色は一掃され多くの堂宇、仏具、仏像は破却され衰微しました。明治7年(1874)に国幣中社、大正3年(1914)に官幣大社に列し、昭和23年(1948)に別表神社となっています。
月山:動画
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