楢下宿は上山藩に属し、藩境で難所である金山峠を控えていた為、上山藩の口留番所をはじめ、 本陣、脇本陣、旅籠などが設けられ賑わいました。多くの大名は楢下宿で宿泊した為、本陣以外でも久保田藩の定宿は「秋田屋」、庄内藩の定宿は「庄内屋」と屋号を掲げていました。防衛の為か?楢下宿は大きくコ字を描くように町割され、その為、金山川を2度渡らなければ宿場を出る事が出来ない構造になっています。現在、当時の町並みは失われつつありますが、脇本陣だった滝沢屋(山形県指定有形文化財)や同じく脇本陣の庄内屋(旧粟野家住宅:上山市指定有形文化財)、旅籠を務めた大黒屋(旧栗野家住宅:上山市指定有形文化財)、同じく旅籠の旧武田家(上山市指定有形文化財)、山田屋(上山市指定有形文化財)などの古民家や明治時代に金山川に架けられた石造アーチ橋である新橋(上山市指定有形文化財)、覗橋(上山市指定有形文化財)などがあります。
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