佐渡路(会津街道・束松峠・滝沢峠越)

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会津街道・束松峠・滝沢峠越

会津街道・越後街道

会津街道当街道は新発田城と会津城(鶴ヶ城)を結ぶ街道で、新発田からは会津街道、会津からは越後街道と呼ばれました。江戸時代を通して村上藩(藩庁:村上城)、新発田藩の参勤交代で利用された他、会津藩の年貢米を阿賀野舟運で新潟港に運ぶ航路、逆に日本海の海産物を会津地域にもたらしました。特に新発田城と会津城(鶴ヶ城)の中間にあたり村上藩と新発田藩の本陣が設けられた野沢宿と、舟運の難所である銚子ノ口を避ける為、荷物の荷揚げを行った野尻宿と津川宿は大きく発展しました。会津街道(越後街道)では吉田松陰(長州藩を脱藩し友人である宮部鼎蔵と共に東北遊学を行った。)や、イザベラバード(イギリス人女性紀行家、日本各地を訪れ「日本奥地紀行」を発刊)、十返舎一九(江戸時代後期の戯作者、浮世絵師、越後街道を訪れ「諸国道中金草鞋」を発刊)などが利用しています。戊辰戦争の際は比較的早く奥羽越列藩同盟を脱退した新発田藩の新発田城を拠点に新政府軍は会津街道(越後街道)を南下し会津城(鶴ヶ城)を目指し、街道沿いでは激戦が繰り広げられ宿場町も大きな被害を受けています。又、会津城下から小峰城下までの白河街道と合わせて佐渡道と呼ばれ三国街道、北国街道と共に佐渡三道に数えられ五街道に次ぐ格式として幕府からも重要視されました。


束松峠

会津街道(越後街道)の宿場町である片門宿(福島県会津坂下町片門)と縄沢宿(西会津町睦合縄沢)の間会津街道の画像にある峠で(峠の直前には間の宿である天屋宿・本名宿が設けられています)、慶長16年(1611)の会津大地震で当初の会津街道(越後街道)の街道筋が復旧不可能な程に被害を受けた為に新たに開削されました。束松峠は標高465m程ですが急峻だった事から難所の1つとされ、明治15年(1882)に福島県令となった三島通庸の命で改めて会津三方道路が開削されると束松峠は避けられ藤峠が経路になった為、峠沿いの宿場町や集落、街道に関わる事を生業とする人々は急速に衰退しました。それを打破する為、新たに住民達による束松洞門が開削され便は格段に向上しましたが、近代的交通網に耐えられるものでは無かった為次第に使われなくなっています(束松洞門は馬車が通れる程度で、現在は崩落が進んでいます)。

旧会津街道(越後街道)沿いは旧観が良く残され、天屋の東松(特殊な樹形のアカマツ、最大のものは樹高約28m、幹周2.48m、昭和42年に福島県指定天然記念物)や束松一里塚(寛永年間:1624〜1644年)築造、2基、大:高さ約4.1m、周囲約39m・小:高さ約2.8m、周囲約30.8m、昭和59年に会津坂下町指定史跡)、峠の茶屋跡、地蔵茶屋跡の六地蔵、石畳跡、束松洞門などの史跡が点在しています。


滝沢峠

会津街道会津城(鶴ヶ城)と小峰城を結んだ白河街道にある峠道です。当初の白河街道は会津城(鶴ヶ城)から東山温泉、背あぶり山を経て猪苗代湖湖畔に至る経路でしたが寛永4年(1627)に当時の会津藩主加藤嘉明により滝沢峠が開削され、以後白河街道の経路となっています。案内板によると「この峠は、天正19年(1591)にときの会津領主蒲生氏郷により若松から白河に至る白河裏街道として開かれました。寛永4年(1627)に会津に入部した加藤嘉明も街道の整備に力を入れましたが、雨天や雪解け時などは泥道となって往来に困難したため、その子明成は寛永9年(1632)から11年(1634)にかけて、延べ8万人の人足を動員して石畳道に改修、冬坂峠の表街道を廃止して滝沢道を表街道としまいした。以来、大名の参勤交代、旅人の往来などに利用されて、大変賑わった街道でありました。 環境庁・福島県」とあります。江戸時代当初は会津藩、村上藩、新発田藩の参勤交代の経路を下野街道(会津西街道)としていましたが脇街道の利用を幕府が嫌った為、延宝8年(1680)以降は白河街道に変更しています。戊辰戦争の際には麓にあった滝沢本陣で松平容保(会津藩9代藩主)が指揮を執り、白虎隊は容保の警護を行いながら滝沢峠を越えて戸ノ口原の戦いに臨んでいます。現在も旧観が良く残り石畳の遺構や「戦士十八人墓」などの史跡が点在します。


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