会津街道(越後街道)の宿場町である片門宿(福島県会津坂下町片門)と縄沢宿(西会津町睦合縄沢)の間 にある峠で(峠の直前には間の宿である天屋宿・本名宿が設けられています)、慶長16年(1611)の会津大地震で当初の会津街道(越後街道)の街道筋が復旧不可能な程に被害を受けた為に新たに開削されました。束松峠は標高465m程ですが急峻だった事から難所の1つとされ、明治15年(1882)に福島県令となった三島通庸の命で改めて会津三方道路が開削されると束松峠は避けられ藤峠が経路になった為、峠沿いの宿場町や集落、街道に関わる事を生業とする人々は急速に衰退しました。それを打破する為、新たに住民達による束松洞門が開削され便は格段に向上しましたが、近代的交通網に耐えられるものでは無かった為次第に使われなくなっています(束松洞門は馬車が通れる程度で、現在は崩落が進んでいます)。
旧会津街道(越後街道)沿いは旧観が良く残され、天屋の東松(特殊な樹形のアカマツ、最大のものは樹高約28m、幹周2.48m、昭和42年に福島県指定天然記念物)や束松一里塚(寛永年間:1624〜1644年)築造、2基、大:高さ約4.1m、周囲約39m・小:高さ約2.8m、周囲約30.8m、昭和59年に会津坂下町指定史跡)、峠の茶屋跡、地蔵茶屋跡の六地蔵、石畳跡、束松洞門などの史跡が点在しています。
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