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 神社山門: 玉村八幡宮

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玉村八幡宮

玉村八幡宮(群馬県佐波郡玉村町)

玉村八幡宮(群馬県佐波郡玉村町)

【 概 要 】−玉村八幡宮は源頼朝が建久6年(1195)に家臣である安達藤九郎盛長(上野奉行)に命じて創建させたのが始まりとされる神社です。当初は角渕の地に鎮座していましたが慶長15年(1610)に現在地に遷座しています。江戸時代は前橋藩主酒井家から崇敬庇護され社殿の改修などが行われ、徳川将軍家からは社領30石が安堵されていました。明治時代の神仏分離令により別当寺院だった神楽寺と分離し村社、後に県社に列しました。

【 場 所 】群馬県佐波郡玉村町大字下新田

【 構 造 】−入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚楼門・切妻、銅板葺き、一間一戸

【 備 考 】−玉村八幡宮を創建した安達藤九郎盛長は出生は不詳なものの、源頼朝が伊豆に配流されていた頃から側近として従い、頼朝の乳母、比企尼の長女である丹後内侍を妻として迎えている事からも篤く遇されていた事が窺えます。源平の合戦では頼朝の使者として各地の豪族に協力を要請し、常に頼朝と行動を共にしています。元暦元年(1184)に上野国の奉行人に就任すると上野国内の行政や寺社の管領の任を行い、当時の守護は比企能員であったものの次第に実権は安達家に移り、跡を継いだ子供である安達景盛が上野国奉行と守護職を兼任しています。文治5年(1189)の奥州合戦に従軍し功を挙げると陸奥国安達郡が与えられ地名に因み安達姓に改姓したとされます。正治元年(1199)に頼朝が死去すると出家し蓮西と名乗るものの、2代将軍に就任した源頼家の宿老として引き続き幕政を支えています。

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