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 神社山門: 羽黒神社

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羽黒神社

羽黒神社(山形県米沢市関根)
【 概 要 】−羽黒神社は大同元年(807)に勧請したのが創建とされ、暦仁元年(1238)に現在地に遷座しました。江戸時代には米沢藩主上杉家の崇敬社として庇護されています。羽黒神社の境内は寛政8年(1796)に当時の米沢藩主上杉鷹山が藩政改革で師事した細井平洲を迎えた地として貴重な事から、名称「上杉治憲敬師郊迎跡」として国指定史跡に指定されています。

【 場 所 】−米沢市大字関根字羽黒堂

【 構 造 】−切妻、萱葺き、三間一戸、八脚単層門、国指定史跡

【 備 考 】−細井平洲は現在の愛知県東海市出身の儒学者で、農民の出でありながら幼少の頃から勉学に積み上げ、中西淡淵に師事しました。24歳になると江戸で私塾である嚶鳴館を開校し、一般庶民にも学問を広げる為に尽力、名声が広がると諸藩からの誘いを受けるようになっています。一方、米沢藩上杉家は関ケ原の戦いの敗北により120万石から30万石への減封、さらに家督相続の不手際から寛文4年(1664)には15万石に減じられましたが、家臣の数は殆ど減らさなかった為に慢性的な困窮状態に陥りました。8代藩主上杉重定の代には大凶作や東叡山寛永寺中堂普請、青苧騒動、家臣同士の争いなど藩政を揺るがす出来事が頻発し、藩主も浪費を重ねた為、家臣である竹俣当綱は廃藩を進言するに至りました。その進言は受け入れられませんでしたが、優秀な人材を養子として迎え藩政の大改革を推進する事が暗黙の了解となり、宝暦10年(1760)に上杉治憲(後の上杉鷹山)を養子とし、宝暦13年(1763)には細井平洲から学問を学ばせました。明和4年(1767)に治憲(鷹山)が米沢藩9代藩主に就任すると、明和8年(1771)には細井平洲を藩政改革の指南役として米沢藩に招き、3度目となる寛政8年(1796)に羽黒神社の境内まで治憲(鷹山)が細井平洲を出迎え、隣接する普門院で長旅の労を労っています。上杉鷹山は米沢藩の改革に成功し次々代の斉定時代に借財が完済しています。

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