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 神社山門: 鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮

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鳥海山大物忌神社

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮(山形県遊佐町)
【 概 要 】−鳥海山大物忌神社の創建は不詳ですが役行者により開かれたのが始まりとされます。古くから格式が高く、延喜式神名帳では名神大社として記載され出羽国一之宮として国事の祭事が執り行われていました。歴代領主からも崇敬庇護され社運も隆盛し多くの参拝者を受け入れました。信仰が広まると、登拝口に拠点が設けられ、当地には龍頭寺が中心的な役割を持ち大きな影響力を行使しました。明治時代に入り仏式が排除され鳥海山大物忌神社蕨岡口之宮(里宮)と社号が改められ国幣中社に列しました。

【 場 所 】−山形県飽海郡遊佐町上蕨岡松ヶ岡

【 構 造 】−切妻、鉄板葺き、三間一戸、八脚単層門、国登録有形文化財

【 備 考 】−大物忌神社は富士山と浅間神社と似たような関係で、火山活動を鎮める為に創建されたと推察されます。鳥海山の噴火活動で客観的な資料して最古のものは平安時代に編纂された「日本三代実録」で、それによると貞観13年(871)に青黒く臭気を放す泥水により、稲は枯れ果て、多くの魚が死に絶え海上に浮かんだとされ、出羽の名神への奉斎を怠り、埋葬された遺体が山を汚した為に神の怒りを買ったと恐れ戦いた様子が記されています。一方、大物忌神社としては歴史書である続日本後紀に承和5年(838)に正五位下勳五等の神階を授かった事が初見で、その後も次々に神階が上がり、上記の火山で社殿が焼失すると再建された事が記されています。

延喜式神名帳では出羽国最高位の名神大社として記載され、出羽国一宮として為政者や領主などから信仰されました。神仏習合が進むと鳥海山を修行の場とする鳥海山修験が発展し、特に山頂へ続く登拝口となる矢島口(秋田県由利本荘市矢島町)、小滝口(秋田県にかほ市象潟町小滝)、吹浦口(山形県遊佐町吹浦)、蕨岡口(山形県遊佐町上蕨岡)が拠点となりました。それぞれの登拝口は信者獲得の為対立しあった為、大物忌神社に対する共通な由緒は存在しなく、自らが有利になるように創作されたと思われます。

蕨岡口ノ宮には江戸時代中期の宝永6年(1709)に制作された「鳥海山記并序」と呼ばれる由緒があり、それによると修験道の開祖である役行者により開山され、山頂から「鳥の海」を臨むことが出来た事から「鳥海山」の山号が成ったと記載されています。何れの由緒も正当性を主張する為に創作されたと推定される為、大物忌神社の真の歴史を探る事は中々難しく、江戸時代には山頂争いや一宮争いなど激しい対立も起こっています。

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