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 神社山門: 上杉神社

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上杉神社

上杉神社(山形県米沢市丸の内)
【 概 要 】−上杉神社は明治9年(1876)に米沢城で上杉謙信が埋葬された地に謙信の御霊を勧請したのが始まりとされます。神官は上杉家の菩提寺の1つ大乗寺が明治の神仏分離令により廃寺となり、住職が還俗してその任にあたりました。上杉家縁の社宝が多く、杉神社稽照殿に保管展示されています。

【 場 所 】−山形県米沢市丸の内1丁目

【 構 造 】−唐破風門、銅板葺き、一間一戸、四脚門

【 備 考 】−上杉景勝には不可解な行動が幾つかありますが、その一つが慶長3年(1598)に春日山城(新潟県上越市)から会津鶴ヶ城(福島県会津若松市)に移封になった際、先代となる上杉謙信の亡骸を会津に移さなかった事が挙げられます。謙信の亡骸がどの様だったのかは判りませんが、一説には体全体に漆を塗布、甲冑を着させた上で大甕に入れら春日山城の一角に設けられた不識庵(院)に安置されていたそうです。それが事実ならば、大甕に入った謙信の亡骸をそのまま放置した事になり、景勝の後に春日山城の城主に就任した堀秀治はこの不忠な行為に立腹し再三景勝に対して謙信の亡骸を会津に移すように要請し半年後にようやく叶ったとされます。

また、よく謙信と関係が深いと照会される林泉寺に対する扱いも不可解なものがあります。林泉寺は謙信より先代の長尾家歴代の菩提寺で、謙信自身も幼少期に当寺に預けられ学問を学んだ事から当然菩提寺に最も相応しい存在とも思えるのですが、実際は葬儀が行われる事も無く墓碑が建立されたという事もありませんでした(現在境内に残されているのは供養塔)。しかも、景勝が会津に移封後に随行した形跡がなく、米沢に移封した後の十数年後に謙信の実姉で、景勝の実母である仙桃院の招きにより米沢入りが許されています(上越市の林泉寺は堀秀治が再興し堀家の菩提寺としています)。

又、景勝の実父である長尾政景は謙信の命を受けた宇佐美定満による暗殺説もあり、もし、当時からこの様な噂があったとしたら景勝は謙信に対して嫌悪感を持っていたのかも知れません。謙信の死因の1つに景勝の暗殺説があるのは上記のような事象があるからですが、今となっては真相を知る事は出来ません。米沢に移封後は大厳封されたという責任者の負い目や、藩内の引き締める必要性から、積極的に謙信の神格化を図り月供養が盛大に行われるようになっています。

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