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 神社山門: 日枝神社

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日枝神社

日枝神社(山形県酒田市日吉町)
【 概 要 】−日枝神社の創建は不詳ですが当初は宮野浦に勧請されたのが始まりとされます。その後、酒田湊が整備されると共に現在地に遷座し産土神となっています。特に酒田の豪商として名を馳せた本間家が崇敬庇護し、社殿の造営などに尽力しています。又、酒田湊は北前船の寄航地で最上川舟運の拠点となった為、数多くの舟絵馬が奉納されています。

【 場 所 】−山形県酒田市日吉町1丁目

【 構 造 】−入母屋、桟瓦葺き、三間一戸、八脚楼門

【 備 考 】−下日枝神社は社号で判るように山王信仰の本社である日吉大社(滋賀県大津市坂本)の分霊が勧請されたと推定される神社で、創建年は不詳とされていますが、本社格と思われる宮野浦に鎮座する日枝神社は大同元年(806)、又は貞観17年(875)に勧請されたとの伝承が残されています。その後の歴史も不明な点が多いのですが、鎌倉時代初期に奥州藤原氏の関係者(藤原秀衡ぼ妹、又は側室などの説がる?)と推察される「徳の前」が酒田に流れ着き、その家臣として従った36家の後裔が事実上当地を管理するようになったとされます。所謂これが「酒田三十六人衆」で室町時代後期の大永年間(1521〜1528年)に宮野浦日枝神社で会合を持ち、対岸に新たな港と酒田町の町割りが決定され天文年間(1532〜1555年)から永禄年間(1558〜1570年)にかけて移転を図りました。

その際、宮野浦日枝神社から分霊を勧請し、酒田町の産土神としたのが当社とされ、特に酒田三十六人衆からの庇護が篤く、その筆頭格だったのが本間家だったわけです(上日枝神社の神主は近江国から日吉大神を奉じて宮野浦に移り住んだと伝えられる斎藤大隈守家が歴任しています)。当社は当初、西浜おふじ山附近に鎮座していましたが、その後荒町に遷座し、さらに正徳2年(1712)に現在地に遷座、宝暦元年(1751)と宝暦8年(1758)の火災で社殿が焼失し、天明4年(1784)に当時の本間家当主本間光丘が社殿を再建した際にやや北方に移動しています。

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