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 神社山門: 御諸皇子神社

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御諸皇子神社

御諸皇子神社(山形県庄内町清川)
【 概 要 】−御諸皇子神社の創建は不詳ですが身分の高い皇子が当地に流され没した為、哀れんだ住民により祭られたとの伝承が残されています。「義経記」によると、兄である源頼朝に追われた源義経が平泉に向う際に当社を訪れたとしています。江戸時代に入ると、庄内藩主酒井家の崇敬社となり社殿の造営などが行われています。

【 場 所 】−山形県東田川郡庄内町清川字花崎

【 構 造 】−寄棟、鉄板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−清川が最上川舟運の発着所として繁栄した町で、同時に出羽三山の玄関口でもありました。御諸皇子神社も何らかな機能があったと思われ、門前に境内を構えた不動院は出羽三山清川口の天台宗、真言宗の修験場として栄えたそうです。

源義経が当社を訪れたとの伝承があるようですが、その出所は「義経記」と思われます。確かに「義経記」には五所の王子(御諸皇子神社)の御前(境内)で一夜通夜(一晩中)御神楽を執り行い、思い思いに馴子舞を舞っているうちに夜明けを迎えた旨が記されています。

しかしこの「義経記」は義経が死没後200年以上経ってから編纂されたと推定される書物で、伝説と創作が入り混じっている「軍記物語」や「伝奇物語」として取り扱われている事を鑑みる必要性があります。要するに、元々当社に伝えられた伝説を「義経記」の編纂者が取り上げたものなのか、「義経記」に記されていたから、当地にその内容が流布されたのかを考察しなければ事実を知る事が出来ないという事です。

確かに現在に至っては確証する術はありませんが、義経になったつもりで考えると、京都から平泉への道程は極秘裏に行われたはずなので各地で伝説じみた目立った行動は絶対に慎むべきで、著名な社寺への参拝も足が着く恐れがある為に行ったとは思えません。

鎌倉時代の歴史書である「吾妻鏡」にも義経がどの経路で平泉に到ったのか記されておらず、少なくとも当時の幕府は把握していなかった事が窺えます。何れにしても、室町時代には五所の王子(御諸皇子神社)が世に知られていた存在で既に繁栄していた証には十分にあります。

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