出羽三山 |
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・概 要 | ・推古元年(593)、崇峻天皇の皇子とされる蜂子皇子(能除太子)は朝廷内で政変が発生した事を受け、身の危険を感じ日本海を経由して出羽国に入りました。そこで、八咫烏と思われる3本脚の烏に導かれ、山中に入り込むと羽黒権現が出現し、羽黒山の開山に至りました。その後、月山、湯殿山を次々に開山し、出羽三山として修験道の聖地として発展しました。明治時代の神仏分離令により、多くが還俗しています。
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・場 所 | ・山形県鶴岡市羽黒町手向 |
・建築年 | ・江戸時代後期:文政元年(1818) |
・形 体 | ・入母屋、茅葺、平入、桁行24.2m、梁間17m、正面千鳥破風、3間軒唐破風向拝付。 |
・文化財 | ・国指定重要文化財 |
・項 目 | ・茅葺屋根(社殿建築・拝殿・東北・関東地方) |
・概 要 | ・元々は出羽三山の一翼を担う羽黒山の根本道場として建てられた堂宇でしたが、神仏分離令後に出羽神社の社殿を経て出羽三山三神合祭殿と呼ばれるようになっています。 |
出羽三山神社(鐘楼) |
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・場 所 | ・山形県鶴岡市羽黒町手向 |
・建築年 | ・江戸時代初期:元和4年(1618) |
・形 体 | ・切妻、茅葺、柱のみの吹き放し。 |
・文化財 | ・国指定重要文化財 |
・項 目 | ・茅葺屋根(寺院建築・鐘楼・鼓楼) |
・概 要 | ・現在の鐘撞堂は山形藩3代藩主最上家信が寄進したもので、神仏分離令後も破却を免れました。梵鐘は執権北条時宗が寄進したもので国指定重要文化財に指定されています。 |
大日坊 |
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・場 所 | ・山形県鶴岡市大網入道 |
・建築年 | ・室町時代以前 |
・形 体 | ・入母屋、茅葺、三間一戸、八脚単層門。 |
・文化財 | ・山形県指定有形文化財 |
・項 目 | ・茅葺屋根(寺院建築・山門・東北地方) |
・概 要 | ・大日坊は平安時代に弘法大師空海により開かれたと伝わる寺院です。湯殿山神社の別当4カ寺の1つに数えられ、女性の参拝が許されていた事から「女の湯殿山」とも呼ばれました。 |
お竹大日堂 |
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・場 所 | ・山形県鶴岡市羽黒町 |
・建築年 | ・江戸時代初期:寛文6年(1666) |
・項 目 | ・茅葺屋根(寺院建築・御堂) |
・概 要 | ・お竹大日堂は佐久間勘解由家によって正善院黄金堂境内に設けたのが始まりとされ、出羽三山の本地仏だった大日如来像、阿弥陀如来像、観音菩薩像が安置されています。創建に関しては、佐久間家に奉公していた「お竹」の霊夢に大日如来の化身が立ったとの伝説が残されています。 |
旧遠藤家住宅 |
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・場 所 | ・江戸後期:文政年間(1804〜1830) |
・建築年 | ・山形県鶴岡市田麦俣 |
・形 体 | ・木造3階建、寄棟、茅葺、兜造、平入。 |
・文化財 | ・山形県指定有形文化財 |
・項 目 | ・茅葺屋根(兜造り・多層民家) |
・概 要 | ・出羽三山の登拝道沿いにある田麦俣集落に位置した建物で、多層民家と呼ばれています。屋根を兜状にする事で上層階で養蚕が出来るように採光、通風が出来るようにした。 |
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