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神社山門: 日吉大社 |
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日吉大社![]()
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【 概 要 】−日吉大社は崇神天皇の御代に地元神である大山咋神を祭る神社として創建された古社です。当初の勧請された宮が後の東本宮となり、天智天皇が大津に都を移した際に大和国三輪山の大己貴命を祀る宮が設けられ、これが後の西本宮となっています。比叡山延暦寺が開山すると鎮守社、守護神として神仏習合し天台宗の寺院の境内には日吉社や山王社が設けられ山王信仰が全国的に広まりました。
格式も高く、平安時代中期の延喜式神名帳には明神大社として記載され歴代領主や為政者にも崇敬庇護されました。戦国時代には織田信長の比叡山焼き討ちの兵火により多くの社殿が焼失しましたが、織田家が没落後、豊臣秀吉により再興されその際造営された楼門(神社山門)は国指定重要文化財に指定されています。 【 場 所 】−滋賀県大津市坂本 【 構 造 】−入母屋、檜皮葺、三間三戸、八脚楼門・入母屋、檜皮葺、三間三戸、八脚楼門、国指定重要文化財 【 備 考 】−日吉大社の記録的初見は奈良時代に成立した「古事記」で「大山咋神。亦の名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ。」とあります。近淡海国とは近江国、現在の滋賀県の事で、大山咋神(別称:山末之大主神)は日枝の山(現在の比叡山)に鎮座していた事が判ります。 平安時代に入り比叡山延暦寺が開かれると境内にも地元神である大山咋神が祭られるようになり、天台宗の思想の一つである「三諦即一思想」を「山」と「王」で現した山王思想と習合しました。鎌倉時代には山王神道の原形のようなものが発生し、鎌倉時代後期に「山家要略記」が纏められると次第に体系的にも確立します。 江戸時代に入ると幕府にも大きな影響力を持った天海大僧正が「山王一実神道」を唱え、特に初代将軍徳川家康が死没すると、半ば強引に家康の御霊を「山王一実神道」で祭るように画策し「東照大権現」の神号としています。家康の御霊は日光東照宮(栃木県日光市)に祭られる一方で、日吉大社の隣地にも日吉東照宮が創建され現在も壮麗な社殿が残されています。 又、日吉大社の参道は門前町として発展し比叡山延暦寺関係する寺院や坊舎等が建ち並び、穴太衆が築いた石垣と共に良好な町並みが残されています。日本神社100選。
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