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 神社山門: 菅田天神社

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菅田天神社

菅田天神社(山梨県甲州市塩山)
【 概 要 】−菅田天神社は承和9年(842)に仁明天皇の勅命により創建された古社で、寛弘元年(1004)に菅田天神社に社号を改めています。甲斐源氏、その後裔とされる甲斐武田家の崇敬社として庇護され、戦国時代に武田信虎が躑躅ヶ崎館(武田氏館:山梨県甲府市)に本拠を移すと境内が城から見て北東方向に当たる為、鬼門鎮守として益々信仰される事になりました。社宝である小桜韋威鎧兜大袖付は武田家と非常縁が深いもので、意匠的にも優れている事から国宝に指定されています。

【 場 所 】−山梨県甲州市塩山上於曽

【 構 造 】−切妻、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−藤原伊勢雄は藤原今河の子供として生まれ、弘仁14年(823)に従五位下となり承和6年(839)に甲斐守に就任し、その3年後に菅田天神社を創建した事になっています。藤原伊勢雄を遡れば、藤原鎌足や、藤原不比等、藤原巨勢麻呂など歴史上の人物が連なる名門だった事が判ります。個人的は祭神である素戔嗚尊と藤原氏とは余り関係が無い事から本当に藤原伊勢雄が創建したのかはやや疑問が残ります。平安時代後期に新羅三郎義光が甲斐守に就任すると、何故か当社を崇敬するようになり甲斐源氏の守護神に定められたようです。

本来、源氏の氏神である八幡神や、甲斐国一宮とされる浅間神社、又は当地の地元神が信仰の対象になるのが通例ですが、源氏とは関わりが薄いと思われる素戔嗚尊や菅原道真を何故信仰したのでしょうか。根拠は余りありませんが、永正16年(1519)に武田信虎が躅ヶ崎館を築き守護所を移すと、当社が躅ヶ崎館から見て鬼門(北東)の方角に位置した事から篤く信仰されようになったのではないかと思います。特に、武田家の家宝である小桜韋威鎧(楯無鎧)が当社に納められたのも、躅ヶ崎館に移ってからとも云われ戦国時代には一族や家臣からも社領の寄進を受けています。小桜韋威鎧は源氏の氏神である八幡神である応神天皇の母親神功皇后が朝鮮半島に出兵した際に見に着け、帰国後に住吉大社に納められたものを源頼義が賜り新羅三朗義光を経て甲斐源氏の家宝になったと伝えられるもので、如何に武田家にとって大切なものだったのかが窺えます。

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