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神社山門: 石和八幡宮 |
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石和八幡宮![]() |
【 概 要 】−石和八幡宮は建久3年(1192)に石和五郎が鶴岡八幡宮を勧請し創建した古社です。石和五郎は甲斐源氏4代当主で、武田氏の初代当主武田信義の5男でしたが諸事情により宗家を継ぐ事となった為、石和の地が武田家の本拠となり石和八幡宮で武田家の主要な祭事は当社で行われました。歴代武田家から崇敬庇護されましたが、永正16年(1519)、武田信虎が躑躅ケ崎(山梨県甲府市)に本拠を移すと城下に府中八幡神社が創建された為、当社は往時に比べると衰微しました。
【 場 所 】−山梨県笛吹市石和町市部 【 構 造 】−切妻、鉄板葺き、三間一戸、八脚単層門 【 備 考 】−石和八幡宮の境内よりやや山側は甲斐国成立以前の中心地と目させる場所で大蔵経寺山(御室山)の山中には積石塚古墳群などの遺跡が数多く点在し、奈良時代に編纂された「古事記」や「日本書紀」に日本武尊が連歌を興じたという酒折宮も程近い場所に鎮座しています。山麓には様々な社寺が点在する中、石和八幡宮の当初の社号と同じ物部神社を持つ神社も境内を構えています。その物部神社は勅命により武内宿禰と稚城瓊入彦命が当地に巡察を行った際、従者として同行した物部氏一族の和珥臣麿呂が創建したとし、鎌倉時代初期に八幡神が勧請合祀され麓の現在地に遷座したという由緒を持っています。この事が事実であれば、大蔵経寺山の麓に鎮座する物部神社と当社は同じような経緯を持っていた事になります。 一方、物部神社の別当寺院だった大蔵経寺は奈良時代の養老6年(722)に行基菩薩により創建され、山内(境内)に物部神社を勧請したとの由緒を持っています。又、大蔵経寺は南北朝時代に三代将軍足利義満の命により当時の甲斐国守護職の武田信成によって七堂伽藍の堂宇の造営が行われ、以後、武田家の祈願所になった経緯があります。この事から由緒上は鎌倉時代初期となっていますが、実際には南北朝時代に大蔵経寺が武田家の祈願所になった際、甲斐源氏の氏神である八幡神が物部神社に勧請合祀されたという考えに行きつきました。その後、石和周辺に甲斐守護所が設けられると現在地に分霊が勧請され石和八幡宮が創建されたと考えると自然に感じます。
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