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 神社山門: 金井加里神社

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金井加里神社

金井加里神社(山梨県甲州市塩山)
【 概 要 】−金井加里神社は大永3年(1523)に田辺士佐守が社殿を建立た古社で、元治元年(1864)に金井加里神社と社号を改称しています。本殿は寛文8年(1668)に造営されたもので山梨県指定文化財に指定されています。随神門(神社山門)は江戸時代中期に造営されたもので甲州市指定文化財に指定されています。

【 場 所 】−山梨県甲州市塩山下小田原

【 構 造 】−切妻、鉄板葺き、三間一戸、八脚単層門、甲州市指定文化財

【 備 考 】−社号からかなり歴史のある神社という印象を受けますが、創建は山梨県神社庁のサイトでは勧請不詳、境内に設置された案内板には室町時代後期の大永3年(1523)に田辺士佐守が社殿を建立したと記されています。境内の位置を見ると背後の上条集落の入り口にあたり、鎮守というよりは境界神として意味が強い印象を受けます。上条集落に程近い上萩原集落には武田勝頼に従い黒川金山衆小方の一人である中村弾左衛門尉が居を構えている事から、当地域は16世紀頃に開発されたと推定され、案内板の年号は妥当とも思えます。又、当社を崇敬したとされる田辺土佐守との関係性は判りませんが同じく小方の一人に田辺四郎左衛門尉という名が見られ、田辺清衛門尉は青梅街道沿いの小田原で問屋業を生業とする事が許され、武田家が滅んだ天正10年(1582)には徳川家康が田辺土佐守に対して領地と問屋の営業を安堵する朱印状が発布されています。

一方、金井加里神社の境内に隣地にある大聖金剛山福蔵院降魔寺は奈良時代に行基菩薩が創建したと伝わる古刹で末寺だった常聖寺(江戸時代の火災により廃寺)が当社の別当寺院だった関係があります。常聖寺の創建年は不詳ですが、福蔵院の歴史性を鑑みると金井加里神社の創建年も遡る可能性があります。又、黒川金山は戦国時代に発展し武田家の軍資金になった事が知られていますが平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した安田義定が開発に携った可能性もあり、福蔵院の境内は義定の館跡だったとの伝承も残されています。

祭神は案内板によると山王白山・金矢大神・日本武尊の3神が奉斎されていると記されていますが、山王白山神という神は自分が知る限りでは他では見られない珍しい神で、文字から察すると山王信仰の本社である日吉大社(滋賀県大津市)の祭神である大己貴神、又は大山咋神、白山比盗_社(石川県白山市)の祭神である菊理媛尊(白山比淘蜷_)が合わさった神かも知れません。金矢大神も聞きなれない神で、文字から察すると金や鉱山、金属に関わる神と推察されます。上条集落が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されると当社の建物も構成要素の1つに選定されています。

山梨県の神社山門
冨士御室浅間神社八幡穂見神社北口本宮冨士浅間神社忍野浅間神社菅田天神社武田八幡宮
穂見神社江原浅間神社河口浅間神社比志神社表門神社甲斐国一宮浅間神社石和八幡宮
金井加里神社穴切大神社大嶽山那賀都神社中牧神社大井俣窪八幡神社熱那神社
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