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 神社山門: 忍野浅間神社

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忍野浅間神社

忍野浅間神社(山梨県忍野村)
【 概 要 】−忍野浅間神社は大同2年(807)に創建された古社です。源頼朝から庇護を受け富士の巻狩りを行った際には武運長久の祈願が行われ、社領の寄進や随神門を造営し金剛力士像が奉納されています。御神体である木造女神坐像、木造男神坐像、木造男神坐像は鎌倉時代末期に製作されたもので、当時の富士山信仰の形態が判る彫刻として貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。本殿は江戸時代初期に建てられたもので忍野村指定文化財に指定されています。

【 場 所 】−山梨県南都留郡忍野村忍草

【 構 造 】−寄棟、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−当社が創建した年という大同2年(807)、これは平安時代に編纂された「日本三代実録」に記された貞観6年(864)の富士山の火山活動を受けて貞観7年(865)に甲斐国に初めて浅間神社が設けられたとされる記事よりも早い事になります。これは、当社の存在を「日本三代実録」の筆者が知らなかったのか、又は当社は貞観7年(865)以降に創建されたか、又は当初は別の神社で後に浅間大神が勧請され浅間神社になった、何れかと思われます。全国的にみても大同2年(807)前後に創建したという古社古寺は余りにも多く、逆に信憑性を疑う位あり、何故その年に集中しているのかは謎ですが神社や寺院にとっては特別な年号で何らかな区切りの年だったのかも知れません。

一般的には東日本では坂上田村麻呂、西日本では弘法大師空海が大同2年(807)に開いた社寺が多い事から、当社は当初真言密教経の寺院として開かれ、開祖である空海を鑑みて大同2年(807)を創建年の由緒を後年に作成し、当社が鎮座する忍野八海が富士山信仰の聖地として整備されると共に、浅間神社としての色を打ち出したとも考えられます。又、由緒によると鎌倉時代初期に源頼朝が富士の巻狩りを行った際に当社を参拝した事になっていますが、鎌倉時代に編纂された歴史書である「吾妻鏡」によると巻き狩りの範囲は現在の静岡県御殿場市や裾野市から静岡県富士宮市と想定される為、当社を訪れた可能性は低いと思われます。

神社山門に安置されている金剛力士像は鎌倉時代の仏師として知られる運慶が彫刻したものと伝えられているそうですが、作者はともかく本当に鎌倉時代に制作されたのかは良く判りませんでした。逆に国指定重要文化財に指定されている「忍草浅間神社三神像」は像底に墨書銘があり、正和4年(1315)に丹後(現在の京都府)出身の仏師、石見坊諍観が彫刻した事が明確で、少なくとも鎌倉時代末期には当社が大きく繁栄していた事が窺えます。

山梨県の神社山門
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