東円寺: 楼門

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東円寺(岐阜県・中津川市)

東円寺(岐阜県・中津川市)概要: 東円寺の本尊である木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)は平安時代の高僧で日本の天台宗の開祖とされる伝教大師最澄が彫刻したもので、伝承によると、この薬師如来像の正面を馬に乗ったまま通り過すと必ず落馬し大怪我をした事から、薬師如来像を後ろ向きに安置したそうです。この事から何時しか「後向薬師」と呼ばれるようになり広く信仰されるようになったと伝えられています。江戸時代初期の元和8年(1622)の本尊を祭る御堂が設けられ、寛文5年(1665)に陽外秀幡和尚により曹洞宗の寺院として整備されました。貞享元年(1684)に春翁和尚が代官の許可を得て現在地に移っています。本堂は昭和61年(1986)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、花頭窓付、内部には本尊である木造薬師如来坐像はじめ、誕生釈迦如来立像(中津川市指定文化財)、秋葉三尺坊大権現尊像、准提観音菩薩像、延命地蔵菩薩などが安置されています。楼門は天明3年(1783)に建てられたもので三間一戸、切妻、桟瓦葺、三間一戸、四脚鐘楼門、上層部鐘撞堂、外壁は真壁造り上層部白漆喰仕上げ、中央丸窓、高欄付、下層部板張り。

【 中津川宿 】−東円寺が境内を構える中津川宿は中山道の宿場町として成立した町です。中津川宿は物資の集積地として大きく発展し、宿場内には市が立ち、多くの人が遠方から商品を買い求め、数多くの豪商も輩出しました。中津川宿の支配層は教養が高く、絵画や俳句をたしなむ一方で、平田篤胤が提唱した復古神道(古道学)に篤く傾倒し、それが高じて幕末には尊王攘夷派や討幕派に対して寛容な風潮があり、幕府から追われていた長州藩士桂小五郎(木戸孝允)を匿い、長州藩主毛利慶親との会談も中津川宿の一角で行われ「中津川会議」として歴史の舞台にもなっています。水戸天狗党が訪れた際にも、他の宿場町では幕府の命により冷たくあしらわれましたが、中津川宿の住民は暖かく迎え入れ、昼食を無料で振る舞い、傷の手当を行ったとされます。東円寺は中津川宿を見下ろせる高台に位置し、歴史の転換点を眺めていたのかも知れません。

※ 当サイト「全国楼門建築」は資料や案内板、パンフレットなどを参考にして編纂していますが、個人的な意見も含まれている為、最終確認は自らの責任により最終確認してください。又、写真や文章のコピーは遠慮してください。

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