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 神社山門: 二荒山神社

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二荒山神社

二荒山神社(栃木県日光市山内)

二荒山神社(栃木県日光市山内)

【 概 要 】−二荒山神社は神護景雲元年に勝道上人が信仰の山として知られていた二荒山を祭る為に祠を設けて創建しました。格式が高く貞観11年(869)には正二位勲四等に列し、延喜式神名帳では名神大社として格付けされました。戦国時代には小田原北条氏に属した為、豊臣秀吉により北条氏が滅ぼされると、庇護者を失い衰微しましたが江戸時代に入ると徳川家康の側近として知られる天海大僧正が再興し、さらに、徳川家康が日光東照宮に祀られるようになると、幕府から庇護され社運も隆盛し壮麗な社殿が造営されています。

【 場 所 】−栃木県日光市山内

【 構 造 】−入母屋、銅瓦棒葺き、三間一戸、八脚楼門・切妻、銅瓦棒葺き、一間一戸、薬医門

【 備 考 】−二荒山神社が何時頃から信仰が始まったのかは判りませんが、御神体となる男体山は承和2年(835)以前に真言宗の開祖である弘法大師空海が筆した「遍照発揮性霊集」の中の「沙門勝道歴 山水瑩玄 珠碑并序」に、天応2年(782)に勝道上人が苦難の末に登頂に成功し、現在の中禅寺湖の畔に神宮寺(二荒山神社の別当寺院と思われる)を創建した旨が記されています。この事から少なくとも奈良時代には男体山を御神体とする何らかな信仰が行われていた事が窺う事が出来ます。山頂は大正13年(1924)と昭和34年(1959)に発掘調査が行われ、鏡鑑・銅印・密教法具・経筒・古銭・土器・磁器など合計1万点余りが発見され、当山が奈良時代から江戸時代にかけて一大祭祀遣跡である事が判っています。当社が境内を構える日光山内は、男体山の遥拝所として発展した場所で、伝承では勝道上人が男体山の登頂に成功する以前の神護景雲元年(767)に設けた祠が二荒山神社の前身とされます。

その後は、神位を得て平安時代に成立した延喜式神名帳には名神大社「下野国河内郡 二荒山神社」との記載があり下野国一宮として信仰を集めました。江戸時代に入り日光山内に徳川家康の遺骸、又は御霊が勧請され日光東照宮が創建すると山内一帯が幕府により整備され、それに伴い当社の社殿も再建されています。特に当社は関東地方の守護神だった立場から、戦国時代は後北条氏の庇護となり豊臣秀吉と対立、その為、北条氏が豊臣家に敗れると社領が取り上げられ、徳川家により再興された関係となっています。日本神社100選

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