茨城県の楼門建築

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名 称
内   容
場  所
・大念寺○大念寺は室町時代末期に芦名義広が源誉慶厳和尚を招いて創建された寺院です。芦名家は南奥羽の大大名でしたが、惣無事令違反をした伊達政宗に侵攻され本家である佐竹氏を頼り当地に逃れ、祖先の霊を慰める為に大念寺を開いたとされます。江戸時代に入ると徳川将軍家から庇護され寺領が安堵され、境内には徳川家康が手植えしたと伝わる「逆さ銀杏」が残されています。山門は三間一戸、寄棟、銅板葺、八脚楼門。

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茨城県
稲敷市
・鹿島神宮○鹿島神宮が何時頃から祭られているのかは判りませんが、祭神である武甕槌神(建御雷神)は国譲り神話で大国主の息子の建御名方神(信濃国一宮、諏訪大社の祭神)と力比べで勝利した事から、特に武家、武将から信仰された神社です。平安時代に成立した延喜式神名帳では格式の高い名神大社として記載され常陸国(茨城県)一宮として広く信仰を集めました。歴代領主からも崇敬庇護され、特に江戸時代には徳川将軍家の庇護により社領2千石が安堵され多くの社殿が造営されています。境内は古代からの神域が維持されている事から国指定史跡に指定されています。神社山門は寛永11年(1634)、水戸藩(茨城県水戸市:本城−水戸城)の初代藩主徳川頼房が造営したもので三間一戸、入母屋、銅板葺き(元桧皮葺き)、八脚楼門、外壁朱塗り、日本三大楼門に数えられ国指定重要文化財に指定されています。

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・茨城県
・鹿島市
・筑波山神社筑波山神社が何時頃から祀られているのかは判りませんが、鎮座地である筑波山は古代から自然崇拝の対象になっていた霊山で、素朴な信仰から筑波山神社として発展したと思われます。その後、常陸国が立国すると、歴代国造から崇敬庇護され、国造家である筑波命が神官も歴任し政教同一が行われました。平安時代に成立した延喜式神名帳では男体権現が名神大社、女体権現は式内小社として記載されています。古くから神仏習合し、別当寺院だった中禅寺は延暦元年(782)に、名僧として知られた徳一大師が創建したと伝えられています。江戸時代に入ると江戸城から見ると北東方向にあたる為、江戸城の鬼門鎮守として歴代徳川将軍家から崇敬庇護され、社殿の造営や社領の寄進が行われました。江戸時代中期以降は信仰が全国に広がり、数多くの参拝者が筑波山詣でを行い門前町や周辺の宿場町も繁栄しました。随神門は寛永10年に造営されたもので三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、つくば市指定有形文化財に指定されています。

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・茨城県
つくば市

茨城県1大念寺鹿島神宮筑波山神社
茨城県2愛染院西念寺不動院佐竹寺
茨城県3来迎院法然寺長禅寺清滝寺笠間稲荷神社考顕寺
茨城県4安穏寺弘経寺乗国寺雨引観音富谷観音

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