名 称 | 内 容 | 場 所 |
・長楽寺 | ○長楽寺は鎌倉時代初期の承久3年(1221)に得川義季が栄朝禅師を招いて創建された寺院です。鎌倉時代は当地を支配した新田家の庇護となり修行道場として寺運が隆盛し、関東十刹にも数えられました。しかし、南北朝の動乱により新田義貞はじめ新田家が没落すると衰微しました。江戸時代に入ると、徳川将軍家を得川家の後裔と位置づけた事で庇護を受け、江戸幕府の重鎮天海大僧正が天台宗の寺院として中興開山しました。さらに、3代将軍徳川家光が日光東照宮を造営した際、2代将軍徳川秀忠が造営した日光東照宮の社殿を長楽寺の隣地に移築して世良田東照宮が創建され、長楽寺はその別当寺院として祭祀を司りました。太鼓門(鼓楼)は江戸時代初期に造営されたもので、三間一戸、入母屋、銅瓦棒葺、桁行3間、梁間3間、楼門形式、袴腰付、群馬県指定文化財に指定されています。
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| ・群馬県 ・太田市 |
・正法寺 | ○正法寺は延喜年間、源経基が聖宝を招いて創建した寺院です。鎌倉時代末期の元暦年間には新田義重が南北朝時代の元弘年間には脇屋義助(新田義貞の弟)が篤く庇護を加えています。特に脇屋義助は自らの菩提寺として居館内部に境内を移して大般若経600巻を寄進し、寺号の正法寺も戒名「正法寺殿傑山宗栄大居士」に由来しています。山門は貞享2年(1685)に造営されたもので三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門、下層部には京都出身の大仏師左京入道勅法眼康祐が彫刻した仁王像が安置、楼門、仁王像共に太田市指定文化財に指定されています。
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| ・群馬県 ・太田市 |
・仁叟寺 | ○仁叟寺は室町時代中期頃に奥平貞訓により創建された寺院です。戦国時代に奥平貞能が奥平公田から現在地に境内を移し、直翁裔正禅師を招いて中興開山しています。その後、奥平家は徳川家の重臣となり奥平信昌が徳川家康の長女亀姫を正室として迎えた事から、仁叟寺は亀姫から篤く庇護されています。江戸時代に入ると吉井藩(群馬県高崎市吉井町:本城−吉井陣屋)の藩主菅沼氏の菩提寺となり、さらに徳川将軍家から寺領を安堵されています。山門は宝暦11年に造営されたもので、三間三戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門、高崎市指定文化財に指定されています。
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| ・群馬県 ・高崎市 ・吉井町 |
・長学寺 | ○長学寺は奈良時代の法相宗の高僧として知られた弓削道鏡によって創建されたと伝わる古寺です。その後、衰退しましたが承和2年、真済によって正式な寺院として整備され開山、しかし、再び荒廃し虎御前により再興されています。室町時代に入ると藤原氏により通海良義禅師を召還し中興開山し、さらに戦国時代に儀山考が再興しています。江戸時代に入ると七日市藩(群馬県富岡市:本城−七日市陣屋)の藩主前田家の菩提寺として庇護されています。境内には前田家歴代の墓碑が建立され富岡市指定史跡に指定されています。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺、竜宮門形式(外壁は大壁造り白漆喰仕上げ、中国風の楼門建築)、花頭窓付。
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| ・群馬県 ・富岡市 |
・善導寺 | ○善導寺は和銅元年(708)に奈良時代の高僧として知られた行基菩薩により創建された寺院です。その後荒廃しましたが、鎌倉時代初期の建久4年(1193)に頓阿見性法師により再興されました。鎌倉時代後期に寂恵良曉上人が中興し歴代領主からも帰依され寺領の寄進や堂宇の造営が繰り返されました。江戸時代に入ると館林藩(群馬県館林市:本城−館林城)の藩主榊原家の香華寺として庇護され、榊原家が移封後は徳川将軍家より寺領が安堵されています。境内には榊原家関係者の墓碑が建立され群馬県指定史跡に指定されています。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚2重楼門、上層部には花頭窓、高欄付。
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| ・群馬県 ・館林市 |
・吉祥寺 | ○吉祥寺は南北朝時代の暦応2年(1339)に大友氏時が中巌円月禅師を招いて創建した寺院です。後光厳天皇の勅願所として寺運も隆盛しましたが、戦国時代の兵火により境内が荒廃します。江戸時代に入り再興が図られ随時境内、堂宇が整備されました。山門は文化12年(1815)に造営されたもので、三間三戸、入母屋、桟瓦葺き、八脚楼門、上層部には十六羅漢像が安置され、後光厳天皇御染筆の勅額が掲げられ川場村指定文化財に指定されています。
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| ・群馬県 ・川場村 |