群馬県の楼門建築3

  全国の観光と歴史的建築物(ホーム)全国の楼門:建築>群馬県3
名 称
内   容
場  所
・榛名神社○榛名神社は用明天皇の時代に創建された古社で平安時代に成立した延喜式神名帳に式内社として記載され上野国六宮の格式を得ました。歴代の為政者や領主から帰依され社運も隆盛し鳥居の前には数多くの宿坊町、門前町が形成されました。古くから神仏習合し、仏教色の濃い、仁王門(現在の随神門)や三重塔などが造営され、別当寺院は江戸時代に幕府の重鎮である天海大僧正から天台宗の寺院として再興され寛永寺の末寺となっています。榛名神社随神門は江戸時代後期の弘化4年(1847)に造営された古建築物で、三間一戸、入母屋、銅瓦棒葺、八脚単層門(楼門ではありません)、国指定重要文化財に指定されています。

榛名神社の楼門写真はこちら

・群馬県
・高崎市
・迦葉山弥勒寺○迦葉山弥勒寺は嘉祥元年(848)、葛原親王の願いにより平安時代の天台宗の高僧として知られた慈覚大師円仁によって創建された寺院です。室町時代の康正2年(1456)、天巽慶順禅師が曹洞宗の寺院として改宗開山し、その際、迦葉山弥勒寺の発展に尽力した弟子が天狗の化身だった事から、天狗を守護神として信仰するようになり日本三大天狗の1つに数えられました。沼田藩(本城:沼田城)の藩主真田信利が篤く帰依し、信利が改易となり幽閉先の宇都宮で死没すると、境内に葬られたと伝えられています。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚2重楼門。

迦葉山弥勒寺の楼門写真はこちら

・群馬県
・沼田市
・穴原薬師堂○穴原薬師堂が何時頃から信仰されているのかは不詳ですが、明治時代には平安時代の高僧として知られた弘法大師空海が彫刻した薬師如来像が本尊として安置していたとの記録が残されている事から、これが正しければ相当古くから信仰されていた事が窺えます。山門は寛政4年(1792)に造営されたもので、三間一戸、入母屋、鉄板葺、八脚楼門、下層部両側には同年に製作された仁王像が、上層部には十六羅漢が安置されています。

穴原薬師堂の楼門写真はこちら

・群馬県
・みどり市
・玉村八幡宮玉村八幡宮は建久6年(1195)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝により鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の祭神の分霊を勧請し創建された神社です。歴代領主から庇護され社領の寄進や社殿の造営が繰り返されました。江戸時代に入ると前橋藩主酒井家から庇護され、徳川将軍家からも社領が安堵されていました。随神門は江戸時代末期の慶応元年(1865)に造営されたもので三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門。

玉村八幡宮の楼門写真はこちら

・群馬県
・玉村町
・貫前神社○貫前神社は安閑天皇元年(531)に創建された古社で、平安時代に成立した延喜式神名帳では格式の高い名神大社として記載され、上野国一宮として国主はじめ為政者、歴代領主から篤く庇護されました。江戸時代に入ると徳川将軍家の庇護となり3代将軍徳川家光や5代将軍徳川綱吉は社殿を造営し社領の安堵が行われています。貫前神社神門は寛永12年(1635)に造営されたもので、一間一戸、入母屋、銅板葺、四脚楼門、国指定重要文化財に指定されています。

貫前神社の楼門写真はこちら

・群馬県
・富岡市
スポンサーサイト

群馬県1光厳寺龍海院|鳳仙寺天増寺福増寺
群馬県2雙林寺空恵寺水沢寺林昌寺泰寧寺
群馬県3榛名神社迦葉山弥勒寺穴原薬師堂玉村八幡宮貫前神社
群馬県4長楽寺正法寺仁叟寺長学寺善導寺吉祥寺

※ 当サイト「全国楼門建築」は資料や案内板、パンフレットなどを参考にして編纂していますが、個人的な意見も含まれている為、最終確認は自らの責任により最終確認してください。又、写真や文章のコピーは遠慮してください。