・入来家は入来領主である入来院家の分家に当たる家柄で、串木野麓では郷士年寄格の格式を担っていました。旧入来邸は当地の軍事、行政の中心である串木野城の大手口に近く重要視されていた事が窺えます。又、南方神社が以前は諏訪神社と呼ばれていた事から「諏訪下ん入来どんの屋敷」と呼ばれいました。
天井には隠し部屋が設けられ、西郷隆盛が密会場所として使用したとの伝承があります。出水麓の税所邸でも天井に隠し部屋がある事から薩摩藩の特定の武家屋敷に同じような思想が根付いていたのかも知れません。
屋敷が広く天井や欄間、建具等に凝った意匠が施され格式の高い建物だった事から、太平洋戦争中は軍の施設として利用されたようで、一部迷彩色を施し空襲から回避するような工夫が成されたようです。
又、庭園もよく手入れされ、中でも五葉松とイヌマキは推定樹齢300年の古木で、邸宅と共にいちき串木野市の文化財に指定されています。
串木野麓が日本遺産「薩摩の武士が生きた町 〜武家屋敷群「麓」を歩く」に認定されると構成文化財に指定されています。
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