武家屋敷: 旧高城邸

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旧高城邸・庭園:略データ
・場 所・鹿児島県南九州市知覧町郡
・建築年・江戸時代
・構 造・知覧型二ツ家
・文化財・−
・指定日・−
・概 要・高城氏は桓武平氏、坂東八平氏と呼ばれる一族である秩父氏を源流とする氏族で、さらにその一族が相模国渋谷荘に配された事から、地名に因み「渋谷」姓を掲げ、渋谷光重の6男重貞が薩摩国高城郡が与えられた事で、後裔は「高城」姓を名乗りました。

その後は鎮西談議所の奉行や引付衆等を歴任し、室町時代には肥前国三根郡西郷の地頭職に補任される等、有力国人領主として長く権力を維持し高城郡を支配していましたが、応永29年に島津立久、文明17年に島津国久に敗れた事で、渋谷家の一族である祁答院に従属するようになります。

祁答院氏が没落すると、さらに一族の入来院家に従属し、入来院家が島津家に従属すると、それに従い島津家の家臣となり、当家のその一族とされます。

当家の建物は明治時代以前に建てられたもので、知覧型二ツ家と呼ばれる「おもて」と「なかえ」と呼ばれる2つの棟とそれを繋ぐ小棟によって構成されています。

「おもて」とは所謂接客空間で、座敷等格式の高い意匠が用いられ、そこには男玄関と呼ばれる出入り口があり、身分の高い人物や、家長と長男だけが利用出来たとされます。

一方「なかえ」とは家人が日常生活を営む空間で、そこには女玄関と呼ばれる出入り口があり、家長と長男以外の家人が利用しました。

昭和に入り「なかえ」部分は失われていましたが、平成6年に復元され、現在は一般公開され、隣接する高城庵では薩摩の郷土料理を食べる事が出来ます。

知覧麓が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されると、その構成物件に選定され、日本遺産「薩摩の武士が生きた町 〜武家屋敷群「麓」を歩く」に認定されると構成文化財に指定されています。

旧高城邸・庭園:付近地図
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