・税所家は元々加世田(現鹿児島県南さつま市)に居を構えていましたが、慶長の役の功績により慶長4年に豊臣家から島津家に出水城が返還されると、島津忠恒は家臣の本田正親に命じて出水城と城下の整備が行われ、それに伴い当家の当主だった税所清兵衛尉篤元が遷されています。元和6年(1620)に薩摩藩で編纂された「薩州出水衆中軍役高帳」によると加世田からは3人が遷されており、各地から武士を集めて構成された事が窺えます。
その後、税所家は郷士年寄(曖)や横目等を代々担い、石高は31石ですが御仮屋に程近く屋敷も広い事から地方の出先機関としては上級武士として扱われていた事が判ります。
税所家住宅は玄関が入母屋屋根式台付で、正面の庭に面した下座敷、次の間、上座敷が接客空間で、上座敷には床の間や地袋付の床、2方向から庭園が眺める事が出来る等格式の高い造りになっています。又、役柄からか、雨天時の弓の練習場所や、一見普通の壁に見える奥の隠し部屋、天井の隠し部屋、囲炉裏の板張りを持ち上げると脱出口とそれに続く抜け道等が配されています。
出水麓が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されると、その構成物件である伝統的建造物に選定され、日本遺産「薩摩の武士が生きた町 〜武家屋敷群「麓」を歩く」の構成文化財に指定されています。
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