武家屋敷: 佐多家住宅・庭園

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佐多家住宅・庭園:略データ
・場 所・鹿児島県南九州市知覧町郡
・建築年・庭園:寛保年間(1741〜1744年)
・住宅 附 腕木門 目隠し(屏風岩):19世紀初期
・構 造・庭園:大刈込式蓮菜石組枯山水
・文化財・庭園:国指定名勝
・住宅 附 腕木門 目隠し(屏風岩):鹿児島県指定文化財
・指定日・庭園:昭和56年2月23日
・住宅オモテ附蔵:平成20年4月22日
・概 要・佐多家は文保2年に島津家本流の島津忠宗の3男である忠光が大隅国佐多(現在の鹿児島県南大隅町)に配された事から地名に因み「佐多」姓を掲げたとされます。文和2年には室町幕府初代将軍足利尊氏から薩摩国知覧(現在の鹿児島県南九州市知覧町)が与えられ長く当地を支配し、

その後、領主家の宗主のみが島津姓に復姓し、一族が引き続き佐多姓を掲げ、直忠家は知覧島津家の一族の後裔として慶長5年に発生した関ヶ原合戦に従軍し、江戸時代には知覧麓で御役人と呼ばれる最高位の役職を担いました。

主屋は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、男玄関から玄関の間、その向かって左側が次の間、次に間の奥に座敷が配されて、所謂、接待空間である「オモテ」が構成され、次の間と座敷からは庭園が眺められ、女玄関の奥には家人が日常生活を営む空間となっています。

庭園は大刈込式蓮菜石組枯山水の知覧武家屋敷で多く見られる形式で、東北隅には築山を設けて山水画のような大きな枯滝を中心に巧みに梅や槙が配されています。生垣も大きく畝って、丁度、母ヶ岳を借景として取り込むような刈込をしています。

表門は切妻、桟瓦葺き、三間一戸、腕木門形式。表門を入ると屏風岩による目隠し塀があり、城郭でいう桝形のような存在で、不審者や敵勢が直接屋敷内部に入れないような構成となっていました。

知覧麓が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されると、その構成物件に選定され、日本遺産「薩摩の武士が生きた町 〜武家屋敷群「麓」を歩く」に認定されると構成文化財に指定されています。

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