・竹添家は肥後国人吉藩主相良家の一族で、戦国時代は主家と共に島津家とは対立関係にありましたが、和睦した際に島津家の家臣となり大口に所領が安堵されています。その後、米ノ津に、寛永14年に出水麓に遷され郷士年寄等の出水郷の要職を歴任しています。
屋敷も当地の中心施設である御仮屋(現在の出水小学校)に隣接している事から、当家が重要視されていた事が判ります。屋敷内には主屋の他、表門、倉、馬小屋、風呂、便所、祠、井戸、庭園等が残されており、当時の地方武士の生活の一端を窺えます。
出水麓が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されると、その構成物件である伝統的建造物に選定され、日本遺産「薩摩の武士が生きた町 〜武家屋敷群「麓」を歩く」の構成文化財に指定されています。
|