滋賀県: 城郭建築(彦根城・膳所城)

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 滋賀県:城郭建築一覧
市町村 城名 名称 現在 概要 備考
彦根市 彦根城 天守閣 同左 慶長11年:3層3階 国宝
彦根市 彦根城 附櫓・多聞櫓 同左 慶長11年:入母屋、本瓦葺 国重文
彦根市 彦根城 太鼓門・続櫓 同左 江戸初期:入母屋、本瓦葺 国重文
彦根市 彦根城 三重櫓・続櫓 同左 江戸初期:3層3階 国重文
彦根市 彦根城 天秤櫓 同左 江戸初期:2層2階 国重文
彦根市 彦根城 佐和口多聞櫓 同左 江戸初期:入母屋、本瓦葺 国重文
彦根市 彦根城 馬屋 同左 現存最大級の馬屋建築 国重文
彦根市 佐和山城 大手門 宗安寺 桃山時代:切妻、本瓦葺
彦根市 佐和山城 不明門 妙源寺 切妻、桟瓦葺、一間一戸、弁柄
多賀町 佐和山城 不明門 高源寺 切妻、桟瓦葺、薬医門
長浜市 長浜城 大手門 大通寺 桃山時代:薬医門 市指定
長浜市 長浜城 搦手門 知善院 桃山時代:棟門 市指定
彦根市 長浜城 御殿 宗安寺 江戸時代:入母屋、桟瓦葺
大津市 坂本城 大手門 西教寺 伝:移築城門、切妻、本瓦葺
大津市 坂本城 城門 聖衆来迎寺 桃山時代:切妻、本瓦葺
大津市 膳所城 本丸大手門 膳所神社 明暦元年:薬医門、切妻、本瓦葺 国重文
大津市 膳所城 城門 膳所神社 薬医門、切妻、本瓦葺
大津市 膳所城 城門 膳所神社 切妻、本瓦葺、潜り戸付
大津市 膳所城 北大手門 篠津神社 慶長年間:高麗門、切妻、本瓦葺 国重文
大津市 膳所城 六体地蔵堂 一層一階、寄棟、桟瓦葺
大津市 膳所城 藩校門 和田神社 藩校遵義堂門、高麗門
大津市 膳所城 犬走門 若宮八幡神社 薬医門、切妻、瓦葺
大津市 膳所城 勢田口総門番所 民家 木造平屋建、入母屋、桟瓦葺
大津市 膳所城 芭蕉会館 2層2階、入母屋、桟瓦葺
大津市 膳所城 本丸黒門 御霊神社 高麗門、切妻、瓦葺
大津市 膳所城 米倉門 近津尾神社 薬医門、切妻、瓦葺
草津市 膳所城 南大手門 鞭崎神社 慶長年間:高麗門、切妻、本瓦葺 国重文
草津市 膳所城 本丸北手水門 新宮神社 寄棟、本瓦葺、一間一戸
高島市 大溝陣屋 総門 民家 長屋門、入母屋、桟瓦葺
米原市 小谷城 御殿 福田寺 書院、入母屋、茅葺 県指定
甲賀市 水口城 乾櫓 水口城資料館 復元平櫓の上に模擬2層
甲賀市 水口城 御殿玄関 蓮華寺 唐破風、銅板葺き
 彦根城−城郭建築概要
彦根城当地は古くから交通の要衝で、北国街道(北陸道)と中山道の合流地、琵琶湖舟運の拠点として重要視されました。又、美濃国(岐阜県)と近江国(滋賀県)との国境にも近く、古代から何度も大きな戦が繰り返されました。戦国時代には佐和山城が拠点となり、織田信長(安土城の城主)は重臣の丹羽長秀を配し北部近江と若狭国支配の拠点とし、豊臣秀吉も重臣の堀秀政、堀尾吉晴(豊臣政権三中老)、石田三成(五奉行)が城主を歴任しています。特に石田三成は佐和山城を近代城郭へと大改修し「治部少(石田三成)に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで三成が率いる西軍が敗れると、西軍を裏切った小早川秀秋を先方とする東軍が一機に佐和山城を取り囲み猛攻を加え、城代を務めていた三成の父親石田正継の采配や、城兵の士気も高く良く防いでいましたが、城内に内応者がいた事から落城に至り石田家一族は自刃して尽く果てたと伝えられています。戦後、当地の重要性から徳川家康は徳川四天王の一人に数えられた井伊直政を配しましたが、彦根城そもそも佐和山城は山城で行政や経済の中心としては不向きで敗軍の将の居城を利用するのを嫌い新城(彦根城)の築城を計画しました。当時、豊臣家は健在だった事もあり、大坂城(大阪府大阪市)を押さえる意味でも堅城が求められ12〜15大名が普請に関わる「天下普請」によって築城が行われ元和8年(1622)に彦根城が完成しました。井伊家は徳川政権下で譜代大名の筆頭にまで上り詰め最高35万石を有し、大老などの要職も歴任しました。明治維新後、廃城令により彦根城は廃城となり破棄される事が決定していましたが、明治11年、明治天皇が巡幸で彦根を訪れた際、多方面から彦根城の保存の嘆願が行われ破却が中止になったとされます。日本100名城
 膳所城−城郭建築概要
膳所城大津の地は京都と近江を結ぶ交通の要衝で、琵琶湖舟運の拠点としても重要視された土地柄です。周辺には天智天皇が667年に遷都した近江宮跡や近江国府が設置されるなど近江国(滋賀県)の政治、軍事、経済の中心となっていました。天正14年(1586)には坂本城を廃して大津城が築かれ、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは前哨戦である「大津城の戦い」が行われ、2千の兵で立て篭った京極高次が西軍の主力である毛利元康・立花宗茂が率いる1万5千を引きつけ東軍勝利に大きく貢献しています。大津城はこの戦いで大破した事もあり、慶長6年(1601)には大津城を廃城にして新たに膳所城の築城が計画されました。膳所城徳川家康も大津の地理的な要地と豊臣家の大坂城(大阪府大阪市)を押さえる意味で重要視し、膳所城を「天下普請」によって築城しました。膳所城は琵琶湖に張り出すように縄張りされ、所謂「浮城」と呼ばれる形状で松江城(島根県松江市)、高島城長野県諏訪市)と共に日本三大湖城の一つに数えられ、「瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と謡われました。戸田氏によって膳所藩が立藩されるとその後は本多氏、菅沼氏、石川氏、本多氏が城主を歴任して明治維新を迎えています。明治3年(1870)に膳所城は廃城となり随時、払い下げ、破却され、周辺の堀が埋められた事で陸続きとなりました。
住宅設計

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