・福沢諭吉は天保5年(1835)に大坂の中津藩蔵屋敷で下級藩士で儒学者だった福沢百助と妻・於順の次男として生まれました。1年半後、父親を死去した事を受け中津川藩に帰藩し、14〜15歳頃から勉学を開始し、18歳から藩の儒官だった白石照山に師事しました。
その後、兄である三之助の勧めもあり安政元年(1854)に長崎に遊学し蘭学を学び、オランダ語を習得し砲術関係の書物を読み漁り、諸藩の西洋家等と交友を深めています。
安政2年(1855)に帰藩命令が出たものの、それには従わず、結局大坂の中津藩の蔵屋敷に居候しながら、足守藩下士で蘭学者だった緒方洪庵に師事し、万延元年(1860)には渡米使節の随員として、勝海舟やジョン万次郎等と共に咸臨丸で渡米しています。
その後は一時帰宅はあるものの、大坂や江戸、東京で生活する事が多くなり、明治3年(1870)に、「中津留別の書」を残して母を伴い一家は中津を離れ旧宅は親戚に売却されました(中津を離れる際には西洋嫌いの中津藩士増田宗太郎が諭吉を暗殺しようと計画したとされます。未遂)。
その後、旧中津藩主である奥平家に所有が移り、さらに明治末期頃に当時の中津町に寄付されています。
母屋は木造平屋建て、寄棟、茅葺、平入、建坪約25坪。
土蔵は土蔵造2階建て、切妻、桟瓦葺き、土壁鏝押え、建坪4.5坪、2階が諭吉の勉強部屋として利用し、勉学しやすいように自ら手直ししたそうです。
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