武家屋敷: 旧丸毛家住宅

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旧丸毛家住宅:略データ
・場 所・大分県臼杵市海添本丁
・建築年・江戸時代後期
・構 造・木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入
・文化財・臼杵市指定文化財
・指定日・平成2年3月16日
・概 要・丸毛家は清和源氏小笠原氏の一族で、小笠原信濃守長氏の子供、又は孫とされる六郎兼頼が美濃国多芸郡大塚城に配され「丸毛」姓を掲げたとされます。

当家は本家筋の丸毛家とは一族と思われますが半独立し、本家と思われる丸毛兼利は斎藤道や織田信長、豊臣秀吉に仕え天正17年(1589)に美濃国福束城主2万石の大名になったものの、当家は明智光秀の家臣として仕えていたようです。

その為、天正10年に発生した本能寺の変後も光秀に従い山崎の合戦に参戦、羽柴秀吉に敗北した事で浪人となっています。

寛永5年に当時の当主だった丸毛忠勝の母方の祖母が稲葉良通の娘だった縁から、臼杵藩3代藩主稲葉一通に仕官が認められ、200石取で家臣に取り立てられ、その後は明治維新まで臼杵藩の上級武士として町奉行役等の要職を歴任しています。

内部は平井家住宅と同様に一般的な外玄関を入ると広い土間があり、そこには身分の高い人物が利用する表玄関と、家人が利用する内玄関が平行して設けられています。4帖半の表玄関には式台が設けられ、その奥には6帖の下之間、その左には6帖の次之間、さらにその左には8帖の上之間が配され、何れも縁側を設け、裏の竹林を借景とした庭園が眺められる構成となっており、接客空間として利用されました。

家人が日常生活を営む空間「奥」には仏間、居間、茶の間、台所などが配され、台所には昔ながらの竈が残されています。

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