武家屋敷: 能見邸

観光と歴史的建築物全国の武家屋敷大分県の武家屋敷>能見邸
能見邸:略データ
・場 所・大分県杵築市大字杵築北台(北台武家屋敷群)
・建築年・江戸時代末期
・構 造・木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入
・文化財・−
・指定日・−
・概 要・能見家は、杵築藩5代藩主松平親盈の9男である幸乃丞を祖とする藩主家一族で、姓の「能見」は杵築松平家が三河国額田郡能見(現在の愛知県岡崎市能見町)を本貫地にしていた事に由来しています(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると松平親盈の男子は7人だけとなっています)。

当地は「北台家老丁」と呼ばれ、家老等の重臣や上級武士の屋敷が設けられていた所で、文政5年〜文政6年(1822年〜1823年)に北台武家屋敷・南台武家屋敷の居住者を記録した「居宅考」や18世紀末期頃に制作されたと推定される「杵築城図(金子絵図)」によると寛政12年(1800)に発生した大火で焼失する以前は300石取の岡藤介の邸宅だった事が記されています。

再建された際に藩主の休息所として設けられた御用屋敷「楽寿亭」の一部に組み込まれ、菜園場として利用されましたが、その後、能見家の屋敷になったと思われます。

能見邸は木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、敷地面積1440u、延べ床面積250u、玄関は式台付、入母屋屋根の格式の高いもので(右側には家人用の玄関が別に設けられています)、上段の間には床の間や天袋、違い棚付の脇床、書院風の開口部、意匠に富んだ欄間等が見られます。

平成20年から改修工事が行われ、それに伴い喫茶スペースやお土産品など販売するコーナー等も設けられ現在は観光施設となっています。

当地が杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区に選定されると、能見邸は伝統的建造物に指定されています。

能見邸:付近地図
福澤諭吉旧居行徳家住宅旧平井家住宅旧臼杵藩主稲葉家下屋敷磯矢邸旧丸毛家住宅中根邸
毛利空桑旧宅能見邸大原邸旧竹田荘
※ このサイトの、写真や文章のコピーは遠慮してください。御理解の程よろしくお願いします。