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神社山門: 沙沙貴神社 |
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沙沙貴神社 |
【 概 要 】−沙沙貴神社は古代の豪族である沙沙貴山君により創建された古社です。格式が高く、平安時代中期の延喜式神名帳に式内社として記載され、近郷の総鎮守として信仰されました。中世以降、長く当地を支配した佐々木家が氏神として崇敬し、江戸時代には佐々木家の後裔とされる京極家が引き続き庇護して社領の寄進や社殿の造営などが行われています。現在の社殿の多くが江戸時代後期の火災で焼失後に京極家から再建されたもので、多くが滋賀県指定文化財に指定されています。
【 場 所 】−滋賀県近江八幡市安土町常楽寺 【 構 造 】−入母屋、茅葺、三間一戸、八脚楼門 【 備 考 】−佐々木氏は宇多天皇(第59代天皇・在位:仁和3年:887年〜寛平9年:897年)の玄孫源成頼が近江国佐々木庄に配され、経方の代に地名に因み「佐々木」姓を名乗ったのが始まりとされます(所説有り ※古代の氏族である沙沙貴山君が佐々木氏の祖という説など)。その後は近江源氏、又は佐々木源氏と呼ばれ近江国(現在の滋賀県)を中心に繁栄し、鎌倉時代初期の幕府の有力御家人だった佐々木信綱の子供達の代に宗家である佐々木六角氏や佐々木京極氏に分かれ、戦国時代には一族で南近江の派遣を競い会いました。戦国時代、六角氏は織田信長の侵攻により没落、京極氏も一時没落の時期がありましたが、京極高次は信長、秀吉に仕え、関ケ原の戦いでは途中で豊臣家を見限り東軍に与し大津城に立て籠もり、一時西軍を引き付けた功により小浜藩10万石の国持大名となっています。京極家はその後も移封を繰り替えましたが佐々木家と縁が深い沙沙貴神社の信仰を続け篤く庇護しています。
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