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神社山門: 多賀大社 |
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多賀大社
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【 概 要 】−多賀大社は何時頃から祀られていたのかは誰も判りませんが、奈良時代に書かれた日本最古の歴史書である「古事記」にも記載されていた古社です。格式も高く平安時代中期の延喜式神名帳にも式内社として記載されました。武田信玄や豊臣秀吉が祈願を行うなど広く知られた名社で、江戸時代には徳川家光が社殿を造営し、領主である彦根藩井伊家からも庇護されています。江戸時代中期には庶民からも信仰され、各地に講が結成されると多くの参拝者が訪れるようになり「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」と歌われました。
【 場 所 】−滋賀県犬上郡多賀町多賀 【 構 造 】−切妻、檜皮葺、一間一戸、四脚門・切妻、銅板葺き、一間一戸、薬医門 【 備 考 】−奈良時代に成立した古事記の「真福寺本」には「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」との記載があり、「淡海」が「淡水の海。みずうみ。おうみ。」の意味があり「多賀」は当地の地名である事から、当社の事を指しているという説があります。一方、同じく奈良時代に成立した日本書紀には「伊弉諾尊神功既畢而霊運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隠者也。」との記載があり、伊弉諾尊は神功を終えた後に淡路島(兵庫県)に宮殿を設けて御隠れになったと訳せ、一般的な解釈としては日本書紀の国産み神話で最初に産んだ島が淡路島だった事から、最後の地として選んだと考えられているようです。この事から察すると、後年、古事記の真福寺本の存在を知る識者が上記の一文に因み伊邪那岐命・伊邪那美命を勧請したのかも知れません。その為、多賀大社は元々、地元神や当地の開発者の氏神が祭られていた可能性があり、古代に当地の支配者だった犬上君の関係する神が祭られていた社が前身だった説があります。日本神社100選。
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