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 神社山門: 矢川神社

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矢川神社

矢川神社(滋賀県甲賀市甲南町)
【 概 要 】−矢川神社は天平宝字6年に創建した古社で、格式が高く平安時代中期に成立した延喜式神名帳に式内社として記載されていました。当時の甲賀郡には8社が式内社として記載されていましたが、矢川神社はその筆頭、周辺22ヶ村の鎮守として広く信仰されました。天正年間に戦乱に巻き込まれ荒廃しましたが、江戸時代に入ると水口藩主から庇護され社殿が再建され甲賀騒動(近江天保一揆)の舞台にもなっています。

【 場 所 】滋賀県甲賀市甲南町森尻

【 構 造 】−寄棟、茅葺、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−天保4年(1833)から天保10年(1839)に発生した「天保の大飢饉」により近江国(現在の滋賀県)でも農村部が大きな疲弊を招き、多数の餓死者、自殺者が後を絶たず社会不安が蔓延しました。そのような中、天保13年(1842)に幕府が見分を大義名分とした不当な検地が行われました。見分役だった幕府勘定方市野茂三郎以下総勢40名余りは、本来厳しく禁止されている、賄賂の強要や豪華な食事の強要、御土産当の強要を各村々で行い、拒否した村には厳しい検地をしました。その話を聞いた土川平兵衛などが中心となり甲賀郡の村々の庄屋達が御法度である集会を開催し、一揆の強硬派を押さえ、取り敢えず「検分中止の申し入れ」を行い、それが受け入れらない場合は市野茂三郎が滞在する本陣に押し寄せる事が決定されました。矢川神社は古くから当地域の集会施設という側面があった為、習合地の1つに選定され、10月14日(11月16日)に矢川神社の鐘が合図となり多くの農民が境内に集まり法螺貝や太鼓などで気勢をあげ、横田川原へ押し寄せました。翌15日には矢川神社から杣川にかけ農民で溢れる程集まり、水口藩や膳所藩は事態の収拾に務めましたが、2万5千から4万人とも云われる一揆勢に対しては大きな流れを押さえる事が出来ず、黙認や逆に炊き出しなど支援する人もいたそうです。16日は一揆勢が市野茂三郎が居る本陣に接近し、その本陣を三上藩士が警備、三上藩郡奉行平野八右衛門が一揆の首謀者との調整役を行いました。「検地十万日延期」の証文を獲得したものの、その後の取り調べは激烈を極め、数万人の農民が尋問を受け、1千人余りが捕縛され、40余名が獄死したとされます。

滋賀県の神社山門
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