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 神社山門: 膳所神社

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膳所神社

膳所神社(滋賀県大津市膳所)

膳所神社(滋賀県大津市膳所)

【 概 要 】−膳所神社は天武天皇の時代に豊受比売命を祀る為に創建された神社です。当地には大津御所の御厨だった事から、琵琶湖の特産物が当社を通して御所に奉納されていました。歴代領主や為政者からも崇敬庇護され社領の寄進や社殿の造営が繰り返されました。江戸時代に入ると膳所藩主が庇護し、その繋がりから明治時代に入り膳所城が廃城になると城門の一部が神門(神社山門)として移築されました。膳所神社神門は桃山時代に建てられた城門建築の遺構として貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

【 場 所 】−滋賀県大津市膳所1丁目

【 構 造 】−切妻、本瓦葺、一間一戸(潜戸付)、高麗門・切妻、桟瓦葺き、一間一戸(潜戸付)、薬医門

【 備 考 】−天智天皇が何故大津に都を遷したのかは判りませんが、天智天皇2年(663)で白村江の戦いで大敗した事を受けて、唐と新羅の脅威を避ける為とも云われています。大津に宮を遷すとその食料を確保する必要となり、御厨が設けられました。御厨は一般的に神社の祭神に捧げる神饌を調進する為に選定した土地の事ですが、当地は天智天皇の食事を用意する為の土地という意味で御厨として選定されたようです。責任者である膳職は天皇の食事や饗膳の管理や準備、食糧や調味料の調達等を司る役職で、膳職の「膳」の字が地名の由来になったと推定されています。天智天皇10年(671)に発生した壬申の乱を経て天武天皇の時世になると都を飛鳥の島宮、その後に岡本宮に移しましたが、当地に引き続き御厨だったとされ天武天皇6年(677)に守護神として膳所神社が創建されています。膳所神社の元々の祭神とされる「御食津神」も「食物をつかさどる神」である事から当地が御厨だったとすると相応しい神だった事が判ります。

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