茨城県の楼門建築

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名 称
内   容
場  所
・来迎院○来迎院が何時頃から信仰されているのかは判りませんが古くから大洗磯山神社の別当寺院として祭祀を司っていました。天和3年、堯祐和尚が現在地に境内を遷し再興しています。山門は江戸時代中期の宝暦10年に造営されたもので三間一戸、入母屋、茅葺、八脚楼門、茨城県指定文化財に指定されています。

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茨城県
常陸太田市
・法然寺○法然寺は長く当地を支配した佐竹氏縁の寺院で、開山者である蓮勝上人(草地山蓮華院常福寺第五祖)は佐竹義繁の5男とされます。山門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、竜宮門(中国風楼門建築)

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・茨城県
・常陸太田市
・長禅寺長禅寺は平安時代後期に関東地方に大きな勢力を誇った平将門によって創建された寺院です。平将門の乱が平定されると衰微しましたが、鎌倉時代に入ると義門和尚が再興、江戸時代に現在地に境内を移し、徳川将軍家から寺領が安堵されています。三世堂は江戸時代中期に建立されたもので、平面が渦巻き状に配されている事から「さざえ堂」の異名があり茨城県指定重要文化財に指定されています。山門は一間一戸、入母屋、銅板葺、四脚楼門。

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・茨城県
取手市
・清滝寺清滝寺は推古天皇15年(607)、聖徳太子(推古天皇の摂政)により創建され、奈良時代の高僧として知られる行基菩薩が巡錫で当地を訪れた際に、行基が彫刻した観音像を安置したと伝えられています。その後、徳一大師、又は花山法皇が中興しています。中世に入ると、長く当地を支配した小田城の城主小田氏が篤く帰依し、その庇護により寺運も隆盛しました。戦国時代の兵火と、小田氏の没落により衰微します。江戸時代に入ると徳川将軍家から寺領を安堵されてます。山門は江戸時代後期の天保年間に造営されたもので、三間一戸、入母屋、銅瓦棒葺、八脚楼門。坂東三十三箇所第26番札所。

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・茨城県
土浦市
・笠間
稲荷神社
笠間稲荷神社は特に歴代笠間藩の藩主から信仰され、社領の安堵や社殿の造営が繰り返されました。多くの藩主は移封先でも信仰を続けた為、広く知られるようになり日本三大稲荷に数えらました。

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・茨城県
笠間市
・考顕寺考顕寺は永正12年(1515)に結城政朝が独峰曇聚禅師を招いて創建した寺院で、政朝が死去すると菩提寺となり戒名「永正寺殿宗明孝顕寺大居士」に因み寺号を考顕寺に改めています。戦国時代末期には結城秀康により現在地に境内を移し再興され、江戸時代に入ると結城藩の藩主水野家の菩提寺となっています。山門は江戸時代中期に造営されたもので三間三戸、入母屋、桟瓦葺き、八脚楼門、結城市指定文化財に指定されています。

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・茨城県
結城市
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茨城県1大念寺鹿島神宮筑波山神社
茨城県2愛染院西念寺不動院佐竹寺
茨城県3来迎院法然寺長禅寺清滝寺笠間稲荷神社考顕寺
茨城県4安穏寺弘経寺乗国寺雨引観音富谷観音

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