笠間稲荷神社: 楼門

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笠間稲荷神社(日本三大稲荷)

笠間稲荷神社(日本三大稲荷)概要: 笠間稲荷神社が何時頃から信仰を始めたのかは明確な資料が無く判りませんが、養老5年(721)に成立した「常陸国風土記」によると「新治の郡より東五十里に笠間の村あり」との記載がある事から、8世紀初期頃には既に笠間村が存在している事が明確です。しかし、笠間稲荷神社がその頃に存在していたかは不詳で、社伝で白雉2年(651)に創建されたと伝わっている為、あたかも7世紀から鎮座している歴史ある神社という印象を受けます。奈良時代から平安時代にかけて成立した歴史書である六国史や延長5年(927)に編纂され全国の著名な神社を列記した延喜式神名帳では笠間稲荷神社と思われる神社が存在しない事からも、当時は存在しないか、又は、極めて小規模な神社に留まっていたと思われます。因みに、現在、笠間城の天守閣跡に鎮座する佐志能神社は式内社の論社で別当寺である観世音寺の創建(伝)は白雉3年(652)とある為、当時は佐志能神社が信仰の中心だった可能性が高く、笠間稲荷神社は白雉3年を意識して、一年早く創建年を設定し白雉2年にしたのかも知れません(あくまで私論です)。鎌倉時代成立前後には当地方にも稲荷信仰が浸透していたようで、元久年間(1204〜1205年)に笠間時朝が佐白山に笠間城を築く際には、山頂に現在の城山稲荷神社が鎮座し、築城に伴い麓に遷座したとされます。歴史的な経緯からすると、城山稲荷神社の方が篤く遇されていたようですが、江戸時代に入ると歴代笠間藩主が笠間稲荷神社を祈願所として崇敬庇護し移封先にまで分霊を勧請し笠間稲荷を祭った事から信仰に広がりを見せるようになります。井上正利が藩主の時代には笠間城の城内で白狐の棲みかを発見した事から、稲荷信仰を篤く信仰するようになり、城山稲荷神社を自分の屋敷内に遷座させ、笠間稲荷神社の方は境内の拡張や社殿の造営を行った結果、命運が別れました。さらに、井上家の一族である門三郎が利根川流域を中心に多数の人々に功徳を施し、その都度笠間稲荷神社の教えを諭した事で関東全域に信仰が広がり日本三大稲荷に数えられました(日本三大稲荷については諸説あります)。随神門(楼門)は別名「萬世泰平門」と呼ばれ昭和に入ってから近代的な手法で建てられたもので、内部には随神と神馬が祭られています。

※ 当サイト「全国楼門建築」は資料や案内板、パンフレットなどを参考にして編纂していますが、個人的な意見も含まれている為、最終確認は自らの責任により最終確認してください。又、写真や文章のコピーは遠慮してください。

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