名 称 | 内 容 | 場 所 |
・府八幡宮 | ○府八幡宮は奈良時代の天平年間に創建された古社です。遠江国府が一時境内に設置され、その後も遠江国府は近隣の見附に移り、隣地には遠江国分寺が境内を構えるなど、政治、文化の中心の一翼を担いました。府八幡宮は平安時代に成立した延喜式神名帳に記載された式内社の論社でもあり古くから格式の高い神社として歴代領主から崇敬庇護されました。室町時代に入ると秋鹿家が神官に任命され、戦国時代には今川家や徳川家に従っています。江戸時代に入ると徳川将軍家から庇護され社領250石が安堵、2代将軍徳川秀忠は大鳥居、東福門院は本殿を造営しています。神社山門は江戸時代初期の寛永12年(1635)の建築で、三間一戸、入母屋、こけら葺き、八脚楼門、静岡県指定文化財に指定されています。
○府八幡宮の楼門写真はこちら | ・静岡県 ・磐田市 |
・臨済寺 | ○臨済寺は戦国時代に今川氏親が開基となり栴岳承芳により創建された寺院です。その後、今川義元が太原崇孚雪斎を招いて中興開山し今川家歴代の菩提寺としました。徳川家康が今川家の人質として駿府城に軟禁になっていた際には臨済寺の本堂で雪斎和尚から学問を学んでいたとされ、現存する本堂(国指定重要文化財)には「お手習いの間」が残されています。今川家が没落すると衰微しましたが、徳川家康が領主になると再興されています。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門。
○臨済寺の楼門写真はこちら | ・静岡県 ・静岡市 |
・石雲院 | ○石雲院は平安時代末期に創建された寺院で、室町時代に入り勝間田城の城主勝間氏の庇護により崇芝性岱禅師が中興しています。崇芝性岱禅師は名僧として知られ、数多くの弟子を輩出し、それぞれが多くの寺院の開山や中興に携わった事から石雲院は末寺30ヶ寺、孫寺600余ケ寺を持つ大寺院に発展しました。歴代領主である勝間氏、今川氏、武田氏、徳川氏が庇護し江戸時代には寺領153石が安堵されました。山門は江戸時代後期の建築で三間三戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門、牧之原市指定文化財に指定されています。
○石雲院の楼門写真はこちら | ・静岡県 ・牧之原市 |
・浄泉寺 | ○浄泉寺は室町時代に岌嘆和尚によって創建された古刹。山門は江戸時代後期に地元の豪商長谷川傅太郎が奉納したもので、一間一戸、入母屋、桟瓦葺、四脚鐘楼門。伊豆八十八ヵ所霊場第七十八番札所。
○浄泉寺の楼門写真はこちら | ・静岡県 ・松崎町 |
・東福寺 | ○東福寺は鎌倉時代初期に創建された古刹です。当初は澤田ヶ原に境内を構え、真言宗天福寺と称していましたが、室町時代に現在地に移り、臨済宗に改宗、現在の寺号である「東福寺」に改めています。本堂の天井は名工田村利光の代表作で壮麗華麗な漆喰で仕上げられています。山門は一間一戸、入母屋、桟瓦葺、四脚鐘楼門。伊豆八十八ヶ所霊場83番札所。
○東福寺の楼門写真はこちら | ・静岡県 ・西伊豆町 |
・実相寺 | ○実相寺は平安時代後期に鳥羽法皇の勅命で智印上人が創建した古刹です。往時は天台宗の学問所として寺運が隆盛し数百の坊が境内に軒を連ねていました。鎌倉時代に日蓮が実相寺に入った事で、大きな影響を受け鎌倉時代末期には日蓮宗に改宗しています。室町時代には駿河、遠江を支配した今川家、今川家が没落後は武田家、徳川家が庇護しました。江戸時代には幕府から寺領が安堵されています。山門は江戸時代初期の建築で、三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門。
○実相寺の楼門写真はこちら | ・静岡県 ・富士市 |