静岡県の楼門建築1

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名 称
内   容
場  所
・静岡浅間神社○静岡浅間神社は崇神天皇の御代に創建され延喜式神名帳に記載された神部神社、延喜元年(901)に富士山本宮浅間大社の祭神を祭った浅間神社、応神天皇4年(273)に創建され延喜式神名帳に記載された大歳御祖神社の3社の総称です。長く当地を支配し駿府城(今川館)の城主だった今川氏から篤い庇護を受け多大な社領や社殿の造営が行われました。静岡浅間神社は戦国時代の兵乱の兵火により境内が荒廃し衰微しましたが、徳川家康が駿府城を隠居城に定め入城すると篤く庇護し再興が図られ、3代将軍徳川家光は社殿を再建して境内を一新しています。神門は江戸時代後期の文化13年(1816)の建築で三間一戸、入母屋、本瓦形銅板葺、八脚楼門、国指定重要文化財に指定されています。

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・静岡県
・静岡市
・久能山東照宮○久能山東照宮は初代将軍徳川家康が元和2年(1616)、駿府城で死去した際、菩提は久能山に葬るようにとの遺言に従い、境内最奥地に家康の霊廟を設け創建された神社です。その為、家康の菩提が日光東照宮(栃木県日光市)、久能山東照宮のどちらにあるのか諸説あるそうです。何れにしても徳川将軍家の中で日光東照宮に次ぐ聖地として認識され、歴代徳川家が篤く庇護しています。久能山東照宮随神門は元和3年(1617)の建築で、三間一戸、入母屋、銅瓦葺、八脚楼門、国指定重要文化財に指定されています。

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・静岡県
・静岡市
・東口本宮
 冨士浅間神社
東口本宮冨士浅間神社は平安時代初期に富士山が噴火活動を活発化した事を受け、その活動を鎮める為に司祭場を設けた事を起源としています。富士山には5つの登拝口があり、それぞれ浅間神社が鎮座し、当社はその東口を守護していた事から浅間五社として富士山信仰の一翼を担いました。特に江戸時代中期に以降になると一般庶民にも富士山信仰が広まり、東口から登拝する信者は当社で参拝してから富士山の頂上に向うのが常とされました。境内には数多くの石碑や石灯籠が奉納されており、当時の信仰の篤さが窺えます。随神門(神社山門)は江戸時代中期の明和4年(1767)の建築で三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門。ユネスコの世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産。

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・静岡県
・小山町
・富士山本宮
 浅間大社
○富士山本宮浅間大社は紀元前27年、垂仁天皇の勅命で創建された古社で、日本武尊や坂上田村麻呂によって社殿が造営されたとの伝承があります。一方で格式が高く延喜7年(907)には従二位に列し、平安時代に成立した延喜式神名帳には名神大社として記載され駿河国一宮にも格付けられています。歴代領主や為政者からも崇敬庇護され、戦国時代には豊臣秀吉からは社領1千70石が安堵され、江戸時代には徳川将軍家から1千百29石余りが認められています。富士山本宮浅間大社随神門(神社山門)は江戸時代初期の慶長19年(1614)の建築で三間一戸、入母屋、桧皮葺き、八脚楼門、静岡県指定文化財に指定されています。ユネスコの世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産。

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・静岡県
・富士宮市
・北山本門寺○北山本門寺は鎌倉時代末期の永仁元年(1293)、日興和尚により創建された寺院です。領主である石川能忠と南条時光の庇護により多くの堂宇が造営され寺運も隆盛し「七大本山」、「富士五山」、「興門八本山」にも数えられました。戦国時代の兵火により多くの堂宇が焼失しましたが、その後再興が図られ、徳川将軍家からは寺領50石が安堵されています。山門は三間一戸、入母屋、銅瓦棒葺、八脚2重楼門。

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・静岡県
・富士宮市
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静岡県2府八幡宮臨済寺石雲院浄泉寺東福寺実相寺
静岡県3大石寺本成寺窓泉寺|尊永寺油山寺

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