鷲子山上神社: 楼門(安養閣)

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鷲子山上神社(那珂川町・常陸大宮市)

鷲子山上神社(那珂川町・常陸大宮市)概要: 鷲子山上神社は平安時代初期に大蔵坊宝珠上人が創建されたと伝わる古社です。伝承によると大蔵坊宝珠上人が全国を巡錫し阿波国(徳島県)を訪れた際、紙漉きの技術を会得し、当地に訪れた際にその技術を伝授し、守護神として天日鷲命を勧請し社を設けたとされます。さらに、天長5年(828)に当地方に疫病が蔓延し多くの犠牲者が発生すると大己貴命と少彦名命の分霊を勧請合祀し、疫病を平癒させました。鎌倉時代初期には源頼朝、源実朝、その後は長く当地を支配した武茂氏が崇敬庇護し、江戸時代には徳川将軍家から朱印状(社領20石)を発布されています。水戸徳川家の当主徳川光圀も参拝に訪れ鷲子山十景山中七寄を選定しています。鷲子山上神社随神門(仁王門)は江戸時代後期の文化12年(1815)に造営されたもので、入母屋、銅板葺、正面軒唐破風付、三間一戸、八脚楼門、外壁は真壁造り板張り、下層部正面左右には江戸の仏師原田左京が制作した右大臣、左大臣、背面には享保6年(1721)に制作された仁王像が安置、中央には権大納言重嗣の筆による「安養閣」の扁額が左右には「鷲子山上神社」の扁額が掲げられ(「鷲子山上神社」の扁額は那珂川町側と常陸大宮市側の氏子がそれぞれ奉納したと思われます。この様な場面でも県堺に境内を構える神社である事が窺えます)、楼門建築の遺構として貴重な事から栃木県・茨城県指定重要文化財に指定されています。詳細は判りませんが、上層部には縁が張り出しているものの高欄が廻っておらず不思議な外観となっています。

※ 当サイト「全国楼門建築」は資料や案内板、パンフレットなどを参考にして編纂していますが、個人的な意見も含まれている為、最終確認は自らの責任により最終確認してください。又、写真や文章のコピーは遠慮してください。

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