・江藤家は元々大友家の家臣だった家柄でしたが、文禄の役で大友義統は敵前逃亡したとの嫌疑をかけられ文禄2年に改易、江藤家も帰農し江戸時代初期頃に肥後国に居を遷しています。
その後、分家筋と思われる当家の初代が17世紀半ば頃に合志郡陣内村に移住し、白川中流域を積極的に開発した事で、当地域有数の豪農として発展しました。
江戸時代中期になると熊本藩は身分が明確で多額な寸志(献金)を藩に納めると武士格(御家人)が与えられる「寸志差上げ」制度を施行し、江藤家は在御家人となり武士格に復権しています。
明治時代に入ると熊本県でも屈指の大地主となり明治16年には404町1反5畝18歩という広大の田畑を所有し、政治家等の人材も輩出しています。
主屋は木造2階建て、桟瓦葺き、熊本の典型的六間造り、文政13年に原型が形作られ江戸時代末期に座敷が明治時代後期に客間が増築されています。
長屋門は天保15年に建てられた建物で、木造2階建て、西側入母屋、東側切妻、桟瓦葺き、桁行12.6m、梁間4.0m、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り。
屋敷内には主屋や、長屋門の他、馬屋や中の蔵、裏門、小屋、井戸、石垣等で構成されており、大津町に散在する江戸時代の在郷武家住宅の中でも最古、最大で貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
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