武家屋敷: 旧新宮家屋敷

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旧新宮家屋敷:略データ
・場 所・熊本県人吉市土手町
・建築年・堀合門:江戸時代
・構 造・堀合門:切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門形式
・文化財・堀合門:人吉市指定文化財
・指定日・昭和54年5月29日
・概 要・主屋は相楽藩主が領内視察や、鷹狩等で宿泊や休息の為の施設である御仮屋として建てられた建物で、その後、31代相良家当主相良長寛の子供の頼匠の隠居所として利用され「幽蘭軒」と呼ばれていましたが、西南戦争後に新宮家が譲り受け元々あった球磨郡錦町から現在地に移築しています。

構造は木造2階建て、寄棟、茅葺、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、内部には床の間、天袋、違い棚付の脇床を備えている座敷がある等、格式の高い造りとなっています。

西南戦争の際には田原坂の戦いで苦戦を強いられた薩摩軍が人吉城下まで撤退し、土手町に境内を構えている永国寺を本陣にするつもりでしたが、生憎、永国寺は野戦病院として境内には怪我人で溢れかえっていた為、急遽、近くで人吉1番隊の小隊長として参戦した新宮嘉善の屋敷が宿営地となりました。

一方、新宮嘉善の父親である新宮簡は官軍(政府軍)の指揮を執っていた為、故郷に攻撃する事になり、謀反の意思が無い事を示す為に最初に当屋敷に砲弾を討ちかけたそうです。

表門は江戸時代に人吉城の御館の水の手側入口に堀合門として建てられた建物で、明治4年の廃藩置県により相良藩が廃藩となり、それに伴い人吉城が廃城になると払い下げとなり当地に移築されました。

構造は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門形式、高さ3m、幅4m51cm、人吉城唯一の遺構として貴重な事から人吉市指定文化財に指定されています。

旧新宮家屋敷:付近地図
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