・高月家は宇佐神宮(熊本県宇佐市)の大宮司である宮成氏(宇佐氏)の一族だった家柄で、豊前国高月郷(現在の北九州市八幡東区)を本貫地とした事から地名に因み「高月」姓を掲げました。
初代高月公信が3万石を領する大名だったようですが、その後没落し毛利家の家臣3千石として筑前国芦屋に移り住んでいます。
跡を継いだ高月公重(祐賀)は毛利家から離れ、豊前国宇佐に移り、その跡を継いだ高月公宗が当時の中津城主細川忠興に仕え150石が安堵されています。
その後、高月教品の代の天和3年に初代宇土藩主の細川行孝に仕えるようになり100石取の家臣となり、明治維新まで宇土藩士を勤め新陰流剣術指南等を担いました。
主屋は文政13年(1830)に建てられた建物で、木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。
表門は長屋門形式で、木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り、武者窓付、内部は仲間小屋、釜屋、倉として利用されていました。
釜屋に設置された馬門石製の井戸には轟泉水道から流水が引き込まれる仕組みとなっていました。
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