・中園家は宇土藩の窯奉行や御山支配役、「馬門石」の監督役等を務めた家柄です。
特に網田焼は宇土藩の御用窯として幕府や、各大名の贈答品に用いられる外交上重要だった事から、窯奉行は重責だったと思われます。その評価も高く佐藤信渕が編纂した「経済要録」によると「磁器は肥後網田山を第一とし、薩州、肥前、松浦諸窯がこれに次ぐ」と評しています。しかし、江戸時代後期に宇土藩の庇護を失い衰微し昭和初期に閉釜となっています。
現在の主屋は天保3年(1833)に中園家6代目当主である中園英之助が建てた建物で、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、外壁は大壁造り白漆喰仕上げ、塗屋造り。
式台付の玄関や床の間、天袋付きの脇床、付書院が備わった10帖の座敷がある等格式の高い造りとなっています。
内部は6間取で、東側の床は土間で主に作業空間や物資を出入する際の勘定が行われていました。
西側の6間は接客空間である座敷と次の間、家人の日常生活が営まれる茶の間、台所、家人の個室2間で構成されていました。
中園邸は貴重な事から宇土市指定有形文化財に指定されています。
又、近隣にある網田焼窯跡(長尾新家窯)は熊本県指定史跡に指定されています。
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