・太田黒家は江戸時代に日田往還(街道)の生味番所の役人を歴任した家柄です。
生味番所は日田往還(街道)の菊池郡中唯一の中関として設けられもので、番所地内には抜荷厳禁等7枚掛の高札が設置されました。
特に豊後国に穀物流出が顕著となり厳しく取り締まった事から米番所との別称がありました。
一方、豊後国津江から塩を買付る程度は見逃したとも云われています。
番所の役職は世襲制で太田黒家と笠家の両家が明治維新まで1日交代の日番を行っていました。
太田黒家住宅主屋は江戸時代末期に建てられた建物で、木造2階建、切妻、桟瓦葺、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、建築面積183u。
間取りは6間取、式台付の玄関や床の間、天袋、違い棚付の脇床、付書院が備わった座敷等格式の高い造りとなっています。
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