・伊東伝左衛門家は飫肥藩の家老を歴任した伊東祐周家の分家にあたる家柄で、祐周の次男である伝佐衛門が享保6年に家を興し、嘉永5年には江戸藩邸表役を担う等の要職を歴任しています。
飫肥藩の上級武士として知られ、概ね100石から150石程度知行し上級藩士の居住区である十文字地区に屋敷を構え、天保12年の飫肥城の城下絵図にも旧伊東伝左衛門家として描かれています。
現在の主屋は19世紀初期頃に建てられた建物で、木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、正面右端に格式の高い式台付の玄関が設けられ、その奥が6帖の玄関ノ間、その左側4帖の次ノ間、さらに左側が8帖の表座敷が配されています。表座敷が接客空間として当家の中で最も格式の高い部屋で、床の間や天袋付きの脇床、書院があり、庭園側の縁側には下屋庇が設けられています。
背後は家人が日常生活を営む空間で、家人の人達が利用する玄関である勝手土間や茶の間、台所、中座敷、奥座敷が配され、当時の上級武士の生活の一端を窺えます。敷地面積1960.32u、建築面積115.27u。
旧伊東伝左衛門家がある飫肥が日南市飫肥伝統的建造物群保存地区に選定されると、その構成要素である伝統的建造物となり保存物件に指定されています。
庭園は屋敷の南東部に位置し、接客空間である表座敷から眺めた際に最も美しく見えるように作庭されました。特に屋敷に沿って土塁状に築山が設けられ、そこに枯滝石組や枯流れが配され、背後の植樹したソテツ等の植栽と生垣、遠方の山々を借景として空間に取り込んでいます。
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