・神崎家は取締役、横目の重役を歴任した家柄で、兵術家としても知られていました。当初は現在の鹿児島県吉田町を本貫地とし「浜田」姓を掲げていましたが、慶長5年に浜田志摩介が高岡町に移り住み、4代当主の代に「神崎」姓に改めています。当地は天ケ城の大手筋にあたり町人町である野町に接する防衛ラインとなった為、武家地が町割りされ「大手迫」と呼ばれていました。
神崎家の武家門は江戸時代後期の文政8年(1825)に建てられたもので、後方控柱付き腕木門形式の2段構えの観音開きの武家門です。
棟高2.86m、親柱間真真1.995m、親柱・脇柱間真真1.245m、親柱・控柱間真真1.090m。
神崎家武家門附石垣3基は高岡麓の歴史的景観を構成する重要な要素として貴重な事から宮崎市指定文化財に指定されています。
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